10月 8日 の『さよなら原発 埼玉県民集会』に参加しました。
10月 8日 の『さよなら原発 埼玉県民集会』に参加しました。
iphoneの電源が切れたのでメモが出来ませんでしたが正確に記録している記事がありました。
janjanの芹沢昇雄さんの記事を転載します。
一般の新聞では書けません。
『さよなら原発 埼玉県民集会』に2600人
2012年 10月 9日 15:42【取材ニュース】 <エネルギー> <原発> <地域> <市民活動> <災害・事故>
芹沢昇雄
「さいたま市文化センター」で10月8日、『さよなら原発 埼玉県民集会』が開かれ会場が溢れるほどの2600人余りが参加し熱気のこもった集会であった。 冒頭にアトラクションとして、結成20年を迎えた「制服向上委員会」の女子が「原発さえなかったら」など6曲を歌い、一番悪いのは「大人たちがウソをつくこと」と訴えた。
【さいたま文化センター】の会場で
集会は最初に、自ら被爆医師である肥田舜太郎医師の26分のビデオメッセージがプロジェクターで映された。当時、28歳の肥田さんは「広島陸軍病院」に勤務していたが、そ病院では原爆投下で597人が亡くなり僅か3人が生き残った。肥田さんは運良く急患で市内から6キロほど離れた無医村に診察に行っていたので直接被爆はしなかった。
肥田さんはそこで自身が内部被爆を受けながら現地で7、8人の医師と市内からヤケドなどで運び込まれた1000人ほどの被爆者の治療に当たった状況を話した。ひどいヤケドで口や鼻からはともなく、目からも血が流れ口の中は真っ黒で40度を超す熱の被爆者は急性症状で次々に亡くなった。薬も治療器具もなく遺体を置く場所さえなく、名前も年齢も判らず記録だけ残すだけの状況だったという。一ヶ月後くらい後からは被爆せず、後から現地に入った人などを含め原因不明で亡くなる人が出始め、その原因は30年間も判らなかったが、後日「内部被爆」であることが判明した。
今もフクシマの放射能は止まっていないが、被爆者には不安を解消し生き延びる勇気を持って欲しいと訴えているという。何よりも心配なのは子どもたちであり、とにかく詳細な記録を取っておくことが必要と訴えていた。
埼玉県加須市に避難している『双葉町』の井戸川克隆町長
次に埼玉県加須市に避難している双葉町の井戸川克隆町長が『福島原発から学んだこと』と題して体験などを話し訴えた。最初に埼玉に避難させて戴き「心の支えであり、感謝致します」との挨拶があった。
東電は欠陥を知りながら見過ごし、原発事故が発生しても町民は何も知らされず、避難バスさえ来ずマイカーで避難した。町民の多くは内部被爆を受けたが、国、東電は「安心教育」をしているが決して「大丈夫」ではなく町長としても責任を感じていると述べた。
当時は白い断熱材が音もなく空から降ってきたというが、当然、その中に「放射能」も含まれていたのである。国会事故調の報告にもある通り正に「人災」であると町長は訴えた。
東電は自分で責任をとるべきだが誰も責任を取らず、賠償・示談への圧力もあり、その賠償は「交通事故」を基準と言うが、我々は着の身着のままで土地や家など全てを無くしてしまったのです。それでも仕事もない20ミリシーベルトの環境の中に住めというのです。私たちは国民扱いされておらず、何度かくじけそうになったが、この「犯罪」に対してこれからも頑張りたい等と話を結んだ。
『講演』する蒲田慧さん
次にルポライターの鎌田慧さんの講演に移った。
鎌田氏は「1000万人署名」が809万人集まり、また7月の代々木公園の「さよなら原発集会」にも17万人が参加し世論は圧倒的に反原発であり、逃げることは許さないと話を始めた。
原発は「ウソと金と脅迫」で行われており民主主義を立て直さなくてはならない。「原発は安い」はウソであり、また、この猛暑の夏でさえ足りたのであり再稼働は認めない。能登半島の珠洲市では原発阻止に成功しており、農漁業の皆さんの被害や原発労働者の被爆など許してはならない。原発企業の三菱や日本製鋼などそのまま軍事産業であり、放射能の被害はヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、JCO、そしてフクシマと続いている。ドイツは脱原発を決めており、日本も廃炉の研究以外は止めるべきであるなどと訴えた。
埼玉合唱団にようる『合唱』
休憩を挟んで埼玉合唱団による「決意」「人間の歌」などの合唱が披露され、その後『地域の取り組み報告』があり、越生町の田島公子町長始め三郷市の保母さんからは子どもたちの保育環境への心配と取り組み、県内の病院看護士からは仲間の看護士が辞めていったことや現地への支援ボラ参加の体験報告を、新日本婦人の会からは線量計で今も定期的に測定している報告などがあった。
更に報告は続き、さよなら原発@埼玉からはツッイターで結ばれた仲間が各地でデモを立ち上げた報告を、また、県外で暮らしていた福島の男性は原発から5キロで82歳の母と暮らす妻から「帰ってくるな!」と言われ一瞬「夫婦の危機」が頭をよぎった。しかし、それは妻の「せめて県外に居る夫と子どもだけは生き延びて欲しい」と死を覚悟のメッセージだったと声を詰まらせて報告した。朝霞市の1000万人署名の団体からは夫は7ミリシーベルトの現地で働いていると報告、東電の情報隠しウソの人災のなかで既に6名が自殺していると述べた。最後に放射能から子どもを守る会からはテレビ報道とネット情報の違いを感じた。平時でも事故時でも放射能の危険は同じであり「暫定基準」に怒りを感じると話し、食料検査も続けているが子どもたちへの責任は私たちの責任と訴えた。
最後に「決議案」が採択され閉会の挨拶の後17時頃閉会した。
日本は 『環太平洋地震帯』 のど真ん中
【記者私見】 被爆体験さえあり、地球規模の「地震の巣」であるこの国で、16万人と言われる避難者の生活も無視しての「原発再稼働」に心からの憤りを感じる。日本の原発事故を教訓にドイツやイタリアが撤退を決める中でなぜ日本が「再稼働」なのか!未だ「原子力ムラ」が健在である証拠であろう。経団連が再稼働を支持する一方で、大きな被害を受けた全農(JA全中)は経済より命と「脱原発」の方針を打ち出している。
芹沢昇雄記者のプロフィール
【生育】1941年・東京生れ、埼玉在住
【現職】『NPO・中帰連平和記念館』理事
【影響を受けた人】「宮澤賢治、田中正造、杉原千畝、林竹二、・・・・」
【影響を受けた映画】「二十四の瞳、人間の条件、米、ひめゆりの塔・・・・」
【関心テーマ】「冤罪・教育・平和・福祉・労働」など
【趣味】「旅、山登り」
【市民記者登録】2004年
【記者のHP】http://serinobu.jimdo.com/
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