うすっぺらなうそが国を壊してゆくうそはつくなと習わざりしか
生活保護基準が切り下げられようとしている。
芸能人のケースなどを使って自民党のあるチームがしかけたものだ。
国に金がない訳ではない。
無いのは人に優しい視線の政治だ。
この問題は全国民の問題です。
以下湯浅誠さんのfacabook記事です。
生活保護基準が10%切下げられた場合に、就学援助利用者の2~5%が就学援助を打ち切りになるという自治体の試算を初めて公表。全国に141万人の非・保護の就学援助利用者(準要保護児童)がいるから、約28000人から70500人が打切りになる計算(単純には比例しないが)。記者レクでは、高校生・大学生5人を含む生活保護家庭、就学援助利用家庭ら8人が発言。30人の記者が熱心に聞き入った。残念ながら、記者の人たちにもまだまだ新鮮な話だったと見えて、その後、発言したご家庭に個別の取材依頼が多数。負担が大きくなりすぎないよう、取材を受けてくれる家庭を探す。 生活保護の話が、どうして就学援助の話になるの?と疑問に思われる方は、明日の毎日新聞「くらしの明日」の連載でその件に触れましたので、ご覧いただければ。
今晩10時からNHKで関連番組があります。
うすっぺらなうそが国を壊してゆくうそはつくなと習わざりしか 公彦
これは以下の加藤真人さんのfacebookの詩から作りました
うすっぺらなうそにだまされて、いつのまにか生活保護という絶対に下げてはいけない部分を下げた。 うすっぺらなうそは、いったいどれだけ多くの人の目をとざしているのだろうか。 うすっぺらなうそがしろとくろをさかさにして、うすっぺらなうそが貧しい人の涙を隠す。 うすっぺらなうそが人の人生を変え、うすっぺらなうそが温かい人間関係を破壊する。 うそは必要なものであるけれど、人生を破壊するうそは、明確に犯罪だ。
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コメント
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ろれつさん
なかなか文学にとって本質的なご指摘ありがとうございました
短歌を二つ紹介します。
怒りをいえ怒りを抒情の契機とせよ今つきつめて「詩」といえる営為
近藤芳美
きみらの歌なにが高貴であるものかへなぶり一首の風刺に及かず
坪野哲久
ろれつさんに言わせればお説教の歌かもしれませんがここら辺が私の目指す短歌です。
社会詠というのは、その時代に生きていて、腹にすえかねることを、やむにやまれずに歌い出すもの。
何よりも作者が社会の動きに心の底から感じるものがあって、はじめて生まれるものでしょう。
ろれつさんのご指摘を肝に命じて歌を作りたいと思います
投稿: 大津留公彦 | 2013年1月31日 (木) 18時50分
名前入れ忘れました。失礼しました。
私が件のような質問をしたのは、字数やリズムに制限のある短歌や俳句という道具では、とても政治批判、体制批判ができないからだろうと思われたからです。
短歌や俳句についてはもうまったく私は知りませんが、たとえば、石川啄木の歌う貧困や、与謝野晶子の歌う戦争の悲しさ、一般的にはそのように言われている詩たちも、あくまで主人公は詩を読んだ当人であり、彼らの気持ちが入っていると思うのです。
例えば、石川啄木の
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
この詩は、貧困にあえいでいるのが誰で、その人物がぢっと手を見つめてどのように惨めな気持ちになっているのかがわかります。というか、その惨めさ、つまり心こそが詩の中心であるはず。
与謝野晶子さんの、たとえば、君死にたもうことなかれ。
長いので引用はしませんが、この詩のテーマも、戦争の悲惨さというよりはむしろ、弟を案ずる姉の心が詩の中心なのではないでしょうか。
そこに来て、大津留さんの
うすっぺらなうそが国を壊してゆくうそはつくなと習わざりしか
この詩のどこにあなたの心があるのか。
これは、貴方の主義や考えであり、心ではないと私は思ってしまうのです。ようするに、ただの説教。
加藤真人さんの詩にも、同じものを感じます。
ここら辺が、私が件のような質問を無礼にも突然した理由でありまして、つまるところ、詩とは心を入れる入れ物であり、主義主張を入れる入れ物ではないのではないのか、ということを私は思うのです。
投稿: ろれつ | 2013年1月31日 (木) 15時51分
ご質問有難うございました。
興味を持っていただいてありがたいです。
それは私が歌人であり俳人であるからです。
575又は57577の形が私にはしっくり来るからです。
啄木の歌が人口に膾炙しているように記憶に残る短詩形文学を目指したいと思います。
答えになってるかな?
投稿: 大津留公彦 | 2013年1月26日 (土) 00時36分
こんにちは。
毎度疑問に思っていることがあったので、今日は少し聞きたいなと思いました。
こういう、政治や経済、人権の問題を詩や短歌に収めるのはどうしてですか?
投稿: | 2013年1月25日 (金) 19時40分