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2013年10月27日 (日)

憲法解釈の変更は無理筋

10月24日の日経の「経済教室」に長谷部恭男東大教授の「集団的自衛権の論点(下) 憲法解釈の変更は無理筋」という論文があった。
「9条の理念と不整合 従来の理解、自然な理屈」というサブタイトルでも分かるようにまことに正論で(上)がひどい論文だったのでそれとのバランスという意味があったのだろうが日経の他の記事とのトーンとも違う多少個性があるが東京新聞か赤旗かと紛うような記事だった。
著作権法違反で訴えられても困るので全文は日経新聞か日経電子版をご覧下さい。

集団的自衛権が認められてこなかった背景をこう指摘する。

「政府の有権解釈が集団的自衛権を否定してきた背景には、この概念がしばしば濫用されてきた事情もある冷戦下での米国と旧ソ連は、自国の勢力範囲内と考える地域での反体制活動を武力で抑圧する際、その名目として集団的自衛権を掲げてきた」


現在自民党により提起されている集団的自衛権の問題点はこう指摘する。

1.「政府を含めた国全体の行動を中長期に縛るための憲法の解釈を、そも時々の政権の意向で変更することのおかしさに気付いていないのか」 2.「地球の裏側まで出かけて実力を行使したいなら憲法の条文を改正するのが筋」 3.「砂川事件で在日米軍を合憲とした最高裁判決(59年)を手掛かりに集団的自衛権の合憲性をひねり出そうという向きもあるようだが、同判決がもっぱら個別的自衛権を論じていることは事案から明白である」 4.「かりに何らかの理屈で解釈を変更したとして解釈とは正しい意味を明らかにすることなのであるから、今までは一貫して9条を誤って理解していたことになる」 5.「裁判所も憲法解釈を変更する場合があるではないかという反論があるかもしれない。しかし裁判所は独立した司法機関で」内閣や国会とは違う。
そして時代分析と日本のあるべき姿を正しくこう言っている。
「現政権の目指す外交・防衛政策が、一時代も二時代も前の古典的な国民国会像をモデルとする時代錯誤的なものではないか」 「現在の国会は、英国の外交官ロバート・クーパーが指摘するように(「国家の崩壊」)」、「ポストモダン国会」への変貌を遂げつつある。」 「日本国憲法は日本という国民国家を構成する憲法である。そこに9条があることが、ある種の違和感を醸し出して来た。戦争する国民国家のはずが、なぜ戦争放棄を宣言するのか。しかし、ポストモダン国家では、9条を備える憲法こそが究極の標準形である。異民族を含む自国民を、同意によってではなく強権的に支配するプレモダン「帝国」は日本の隣にいることは、日本が時計の針を逆回転させ、古典的国民国家として行動するべき理由にはならない(地球の裏側に出掛ける理由にも当然ならない)。人口減少社会の日本でそんな政策を続けても、いづれ頭打ちである。時代錯誤の「帝国」の変化を予期し、それに備えた東アジアの未来をこそ構想すべきであろう。」

結局かなり長く引用してしましました。
日経さんにも時々こう言う良質の記事がある事の紹介ですので許して頂けるでしょう。

今日はこんなとこです。

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