わらび座ミュージカル「小野小町」を観た。
5.20に東京国際フォーラムでわらび座ミュージカル「小野小町」を観た。
小野小町は六歌仙(在原業平 僧正遍昭 喜撰法師 文屋康秀 小野小町)の一人である。
歌人の末席を穢す者としてはいろんな和歌が印象に残ってます。
中でもテーマのように最後に流れるこの歌が一番凄いと思いました。
「我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」
何たる達観の境地であろうか。
これは唯物論者の言葉です。
少なくともただ美人で和歌が上手かっただけではない強い女性としての小町を知りました。
わらび座に頼まれた時にたまたま小野小町を調べていたという、脚本を書いた内舘牧子は世界三大美人の一人(日本では)の小野小町の強さをこの歌で表したという。
わらび座も 「強いからこそ美しい」というキャッチフレーズを使っている。
warabi.jp/komachi02/
「美人薄命」と言いいますが、小野小町は92歳まで生きたそうです。
医療の発達していない当時としては大変な長生きをした人でしょう。
最後は洞窟で暮らすシーンで終わりました。
こういう人生の終わり方が出来るといいですが凡人には無理でしょうね。
あるサイトからいいと思った小野小町の和歌と解説を五つ紹介します。
思ひつつ寝ぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(古今552)
【通釈】恋しく思いながら寝入ったので、その人が現れたのだろうか。夢だと知っていたら、目覚めたくはなかったのに。
わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ(古今938)
【通釈】侘び暮らしをしていたので、我が身を憂しと思っていたところです。浮草の根が切れて水に流れ去るように、私も誘ってくれる人があるなら、一緒に都を出て行こうと思います。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(古今113)
【通釈】花の色は褪せてしまったなあ。我が身を徒いたずらにこの世に置き、むなしく時を経る――春の長雨が降り続ける中、物思いに耽っていた、その間に。
秋の月いかなる物ぞ我がこころ何なにともなきにいねがてにする〔新勅撰283〕新
【通釈】秋の月とはどういうものなのか。私の心はこれといって何もないのに、寝つくことができない。
はかなしや我が身の果てよ浅みどり野辺にたなびく霞と思へば〔新古758〕
【通釈】はかないことだ、我が身の果てよ――それは只うっすらとした藍色――野辺にたなびく霞であると思えば。
以下Twitterからの参考情報です。
以上です。
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宇都宮健児・井戸川克隆 未来を語る
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