69年前長崎で被爆した義母のこと
私のかみさんの母親は長崎の被爆者だ。69年前の今日、勤労動員された軍需工場への通勤時に被爆し寮に電車で帰ろうとするがなかなか乗れずあの時ほど力の強い者が勝つと思った事はないと言っていた。
私が原爆の話を聞いたのはその時位で基本的には原爆の話をしない人だったが近年は学校の先生に誘われ戦争の語り部として語っていたようだ。
その義母は数年前に五島から愛知県に姪の結婚式に行ったときに足が痛いと訴え豊田市の病院に入院し検査の結果が出る迄に時間がかかったが結局急性白血病という診断となり三郷、草加と病院を移り結局発病から数カ月で数年前に亡くなった。
五島には位牌が帰ったが元気だった人が位牌で帰ってきたので皆驚いた。
被爆者手帳を持っていたので医療費は無料だったが豊田市の病院を動かすべきでは無かったと妻は言い、親族にもしこりを残した。
3・11の後に放射能を避ける為に娘と孫が五島に一時期義母の世話になったが、義母は「私なんか被爆しても60年以上ピンピンしている」と語っていたという。
それ位元気な人だった。
それが急性白血病であっと言う間に亡くなってしまった。
最近そういう急な亡くなり方をする被爆者が増えて居ると言う。
人体への放射能の影響はこれからの解明を待つしかないのだろう。
被爆二世、被爆三世への影響も含めて、、
私は最近部分入れ歯を入れたので義母の残した入歯入れを毎日使わせて頂いている。
私の義母は長崎の被爆者で元気でしたが数年前急性白血病で急に亡くなりました。 >あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか? ln.is/blog.goo.ne.jp… @maumi11さんから
posted at 05:33:27
以上です。
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