金丸辰雄さんの歌集「風が少し出た」を読んだ
金丸辰雄さんの歌集「風が少し出た」を読んだ
金丸さんとは1975年位に八丁堀区民会館で開かれていた新日本歌人の東京歌会でご一緒していたがこの本は1974年4月に出されており、お知り合いになる前に出された歌集です。
歌会では福田稔さんとの掛け合いがいつも面白く友人であるが故の辛辣な批評をやり合っていた。
佐々木妙二さんが間に入って纏めるというような感じだった。
その時の歌が残っていればいいのだが残念ながら私の手元にはない。軽妙洒脱な歌や着眼点のユニークな歌があった。
あとがきにはこうある。「歌はごらんのとおり日常生活の感情の起伏を日常用語で伝えようとしただけで、口語を破調の乱用が行われておりますが定見があってのことではありません。事柄に執着して、あるいはそのときの心の状態にできるだけ近くありたいとなりふりかまわず陳述いたしました、とでも申し上げましょうか。定型詩への勉強の不足かも知れません。」
歌を見て詩という理解をされる方もいるかもしれませんが、概ね二行書きで文字数の長い三行書きのものもありますが、現在の「新日本歌人」の行わけ欄の作品と比べれば定型歌の範疇だと思います。
作品を紹介します。
p3 自分で自分を責めさえしなければ、係長であり共済会長でさえある
p11 ほんとうにみんなの為めに働いたか、委員長であることを保身の一つとして
p21 自分の娘が若い男と語り合うのがこんなにも淋しいものか、障子隔てて
p36 先に勤めにゆく妻が先に顔洗う、シャツの背中の骨尖らせて
p41 これなら仕事が出来る数字と、これなら仕事が落ちる数字を並べてはみるが
p57 単純に女を美しいものと思うな、強制収容所を胸張って歩く女看守も女
p58 ヒトラーの隠し女があらわれて顔をしかめるように笑った
p67 ランプの灯に近づけて読んだ故、ぼくの三四郎も門も煤けている
p91 地面にあご押しつけた犬が目を開けて、通りすぎるぼくを見つめている
p109 ぼうと(暴徒)に加わった家と今も呼ぶ親しい語感、桃咲く土蔵の家
p144 自分の文体を持たない奴に自分の思想があってたまるかと、お前は今晩何にたかぶる
更にあとがきはこう書いています。
「それにしても少ない言葉で人生に相わたる発言がゆるされるこの短か歌の様式を手軽な道具として親しんでまいりました。私の興味は所詮「事柄」ということの範囲は出ないでありましょう。この世の中にはまだまだ私にとって未見の事柄がみちていると思い、これからも歌を書き続けてゆきたいと思っております。」
もっと沢山の歌を見せて頂きたかったです。
その時偶々歌会に参加した妻と歌会の帰りに啄木の墓など、浅草を案内して頂いたのが懐かしい貴重な思い出です。
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