今日1月17日は阪神・淡路大震災から23年となる。
今日1月17日は阪神・淡路大震災から23年となる。
今日はあまり関連記事を見なかった。
風化している。
私も今日が終わろうとしている今記事を書いている。
自分のブログを見ていたら3年前にまとまった記事とと過去の記事のリンク先があったので再掲します。
記事にあるように当時私たち家族は大阪・高槻市に住んでいました。
朝突然の揺れに目覚め、ガスの元栓を閉め一箇所の布団の中に居ました。
その後ジェットコースターのように上下左右に揺られました。
それだけで気分が悪くなる位の揺れでした。
震災は忘れたころにやってくるというというのは寺田虎彦だったか。
逆に言えば忘れなければやってこないということだろう。
今日は追悼の日
あの1月17日
朝寒かりし 公彦
今日1月17日は阪神・淡路大震災から20年となる。借り上げ住宅制度ができたのは1996年、阪神・淡路大震災の被災者が入居したのが最初で、20年の「借り上げ期間」が来るそうです。
返済困難な人は免除すべきです。
政治の果たすべき役割はここにあると思います。被災者の厳しい現実に国連は2002年に被災高齢者のケアや住宅ローンの返済の援助などを日本政府に勧告しています。
「住専」処理には税金を投入しながら個人補償を「資本主義国だから」と自社さ政権が拒否したことが問題の原因です。
それでも小田実や共産党の奮闘で「被災者再建支援法」が出来、住宅再建に最高300万円が支給されるようにはなっています。
また復興公営住宅の戸数増や家賃低減などの多くの要求も国民の運動で実現して来ました。
支援法の更なる拡大や借り上げ住宅や災害援護資金問題が求められています。
阪神・淡路大震災については今までも多くの記事を書いてきた。
さわりだけ紹介しあmす。今の「派遣切り」をはじめとした「労働災害」は派遣法改悪により起きた政治災害だが、阪神淡路大震災の被災者の被害者への直接救済がない事は故小田実が言っていたように人災です。
今の若者の中には日本がアメリカと戦争をしたことを知らない人がいるそうですからいずれ阪神淡路大震災の事を知らない人も出て来るのかも知れない。
しかし過去を正確に記憶し記録しないと未来に対して盲目となる。未来の為に戦争と同じく震災も正確に記憶したい。
2010年1月18日 (月)
大震災15周年特集ドラマ「その街のこども」を観た
不思議なドラマだった。
どこまでが震災当時10歳で地震を経験した森山未來と13歳だった佐藤江梨子の実話かわからない。
会話などはおそらく事実なのだとおもった。
それくらいリアリティがあった。震災の経験者である二人にしかできないドラマだったのだろう。
佐藤江梨子は最近、ナチス強制収容所での体験を綴った「夜と霧」を読みなし、「いい人が先に死んでしまった」という言葉にいろいろ思い出したという。
震災で亡くなった友達の「ぼろぼろになったおっちゃん」と合いベランダのおっちゃんと手を降り合うシーンでは涙が出た。
15年前我が家は大阪で地震を経験した。
3人の死者が身の回りに出た。
阪神/淡路大地震全体では6434人の死者が出た。ハイチの地震では死者が20万人を越えるかもしれないという。
戦争のためではなく地震のために人間は備えなければならない。
今朝起きて@twryossyさんの季語を見て今日は17回目の震災記念日だとわかる。
5時半に起きてテレビを付けパジャマのままテレビに向って5時46分に一人で黙祷した。
妻や娘は忙しく身繕いをしていた。
黙祷の後テレビは神戸の「ふるさと」の合唱の模様を映していた。思い起こせば家族4人高槻で地震に遭った。
幸い私たちは大きな被害に遭わなかったが、私の回りで震災被害者の数に入らない間接被害者3人が亡くなった。
万感の思いのある今日01月17日である。当時私たち家族は大阪・高槻市に住んでいました。
朝突然の揺れに目覚め、ガスの元栓を閉め一箇所の布団の中に居ました。
その後ジェットコースターのように上下左右に揺られました。
それだけで気分が悪くなる位の揺れでした。
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