「司馬遼太郎対話選集7 人間について」を読んだ
「司馬遼太郎対話選集7 人間について」を読んだ
司馬遼太郎の本を始めて読んだ。
別に毛嫌いしていた訳ではないが読む時間が無かったということにしておこう。
私は司馬遼太郎という人の広くて深い世界に落ちるかもしれない。
対談であるので客である対談相手の話が長くなるが、各論者が年長者を含め司馬をリスペクトして居るのがよく分かる。圧倒的に司馬の話が長い回もある。
対談者は以下の五人である。
今西錦司、犬養道子、高坂正尭、山村雄一、山崎正和 そして解説は関川夏央である。
私が興味を持ったところをいくつか紹介します。(私のコメントは( )で書きました。)
今西 (「文明をコントロールする」という項目で江戸時代の話に続いて)
もう後戻りはできませんでしょうな。しかし、ある段階まで科学技術が進んできたら、世界中で相談をしてコントロールを始めてもええのやないか、と思いますね。たとえば核兵器など、もう作るまいという相談がまとまったら、これはもうすぐにでもきますからな。
司馬 それはできますね。できる雰囲気になりつつありますね。
(「人類を救うのはアフリカ人」 今西錦司との対談 1971年)
(この対談から47年経っているが未だに核兵器廃絶は出来ていない。今また、「できる雰囲気になりつつ」あるが、核兵器を使った唯一の国と核兵器を使われた唯一の国の政府がそれに反対している。)
犬養 (「天皇は日本人最大の発明」という項目で日本人のあいまいさについて触れて)
なにしろヨーロッパには、建て前を説明する建て前もあるわけで(笑)、それをまた聞くという建て前もあるわけですよ。だから、談義のプロセスを大切にする議会制度の政治が根付く下地があったともいえる。ところが日本人は十七文字かなんかで、パッと分かっちゃうでしょう。そういうところ、議会政治や外交なんかで弱みになるんですね。外交では、すでにわかり合っていると思うことでもくどくどと説明しなきゃいけない。日本人にはそれができない。パッと飛んじゃうんです。だって説明しようにも、説明すべき建て前がないんですから。
(「“あっけらかん民族”の強さ」 犬養道子との対談 1969年)
(契約社会でないということだろう。議会政治では法律に何にでも等をつけて範囲を曖昧にするなどというのがそうだろうか?外交の世界では「トラストミー」なんて言うのがそうだろうか?それにしても十七文字が日本人理解のキーワードとして使われるんですね。最近の世界で流行っているその8倍の文字数の140文字で毎日発信している某国の大統領は日本の伝統を引いているのでしょうか?8倍の手間がかかっていますが..)
山村 (「ホルモンとリズム」という項で人間の感覚は一日が25時間という話から続いて)
そうすると、「一週間」というのはどういうことで決めたんだろうと考えるんですね。一週間ごとに休め、休息日だと。これはユダヤ教でもキリスト教でも同じですね。体のリズムからいうと、一週間たつと、六、七時間無理して太陽に合わせて寝ていることになるんですね。つまり、その日ぐらいは遅くまで起きて、朝もゆっくり寝なさいというのが安息日、すなわち日曜日じゃないかとぼくは思っているんです。普通の人は毎日、一時間づつ「早く寝ろ」「早く寝ろ」と太陽のおかげで言われているわけです。これをずっと続けると、二十四日たったら二十四時間違うんだから、大変な苦痛になるわけですよ。
司馬 いや、すごいことですな。
(「生と死のこと」山村雄一との対談 1983年)
(金曜と土曜は遅くまで起きて、朝もゆっくりするというパターンは理にかなっているということか。今私は幸い土日が休みで体調がいいが前はそうではなかった。今の働き方は土日が休みでない人を増やしている。理にかなわない働き方はどこかにひずみが来ると思う。「働かせ改悪」でさらに日本人の健康は損なわれるか。)
司馬 (「空海の書いた思想ドラマ」という項で高知では寺子屋が少なかったという話に続けて)
正岡子規の叔父さんで、明治期の外交官であり、官僚でありながらルソーの徒でありつづけた加藤拓川(1959~1923)という人がいます。お行儀のいい愛媛県人なのですが、四国の中で土佐の風土がすきで「土佐人は先天的自由児たりしが如し」といい、また四国の産物の中で最大のものは「近世土佐国が産出したる政治的人物に過ぎおるものなし。五十年前の坂本竜馬はいわずもがな、今より明治維新の当時を回顧すれば、高知は実に人物の淵叢なりしなり」と言っています。これは土佐が、より薄くしか寺社経由の小笠原式礼法を受けなかったことによると思います。
(「国家と人間集団」山村雄一との対談 1983年)
(「坂の上の雲」を書くときに子規の周辺を調べてきた時に加藤拓川に出会ったのだと思います。寺子屋は滋賀県や丹波では村に二つや三つあったそうです。そこには京都で修行した人が小笠原式礼法という行儀作法を教えたそうです。進学率は高知を除く四国三県は高いそうです。考えさせられます。)
司馬 エレベーターでたまたま二人きりになると、西洋人はもう、鍛えぬいた微笑をすぐつくりますね。“自分は無害だぞ”ということでしょうか。こっちはあわてて笑み崩れたりしますね。ドジ踏んで(笑)向こうは“おまえにとっておれは有害か無害か”を絶えず考えてなきゃいけない社会だけれども、日本の場合は全員無害・・・。
山村 そういう前提があるんですね。お互いに信用しているわけです。
(「国家と人間集団」山村雄一との対談 1983年)
(私はイラクで暮らしたことがある。べドウインは砂漠のテントの外の人間は敵なので打ち殺してしまいます、テントの支えひもに手が届いた人間は客人なので厚くもてなすと聞いたことがある。英米人は日本人から見れば、このべドウインの民と同じと思う。私は農耕民族と狩猟民族の違いと理解している。)
司馬 正岡子規のように、同一人格の中で両方つくることがあるけれども、はやり俳句のほうが男性的ですね。三段階にわけられた論理ですから、はっきりとしております。しかし、短歌は、ぐにゃぐにゃとテニヲハでつないで、最後の下の句でまったく意外なことを噴出ようにして歌い上げるものですから、上の句の一番最初とほとんど論理的につながっってないわけです。上の句は最後の七文字を言わんがためのものですから、情が入り過ぎて知が入ってはいけないわけです。むしろ、知が入っては名歌になりにくいところがあるように思います。(中略)西行と芭蕉はひとりで歩いているなということですが、この二人は非常に対照的で、西行は、現実には剛気な人間なのに、短歌を詠むために女性的な印象がどこかつきまといます。その点、俳句で自分を表現した芭蕉はすさまじいばかりに、男性的な印象がありますね。
山村 有名な「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」なんか男そのものですね。
(「国家と人間集団」山村雄一との対談 1983年)
(短歌と俳句の違いの一面を単純化してますがまあいいでしょう。短歌と俳句を両方やる私はさしずめニューハーフか?)
以上です。
2018年10月18日 大津留公彦
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2017年の大津留公彦の俳句
白木槿
「歌碑のある風景」を紹介します。
私も三郷市の万葉歌碑を紹介しています。
短歌は新日本歌人
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