中野菊夫著「私の短歌作法」から1
新日本歌人我孫子支部湖畔短歌会では新しく勉強会を始めました。
テキストは中野菊夫著「私の短歌作法」(昭和60年5月30日刊)です。
37個の文章を毎回4個づつ計9ヶ月で学びます。10月14日は短歌への誘いの4つの文章を学びました。
印象的な箇所を略して紹介します。
1、 読むことと作ること
若い人にはとにかく作品を作れと言い年配者には作品を読んで欲しいと言っている。
2、 読むことと作ること(続)
はじめに歌集を読みたい人には若山牧水と小泉千樫の歌集を勧める。斉藤茂吉や北原白秋は短歌に対する魅力にはなるが実作の役に立つところは少ない。
3、 啄木の導き
啄木から短歌へ入って行く者は、短歌のもつ形態的な美に魅力を感じるというよりか、短歌を媒体として文学の殿堂へ直接入ってゆこうとするものが多いのだろう。短歌の持つリズムは、五句三十一音律であるが、啄木はそれを生かしながら彼なりの発見を加えていっている。
4、 言葉の使い方
何も歌言葉として特別なものはない。
古語は絶対に使ってならないという立場も何が何でも古語でなければならないという立場も廃したい。
短歌は文語脈に主流をおいているだけに、今日の言葉だけではなかなかゆきにくいところも出来てくる。遠慮はいらぬから使いたかったら、古語だろうと使ったらいい。
以上ほんの一部だけを紹介しましたが、なかなか歌作りに参考になります。
11月11日は短歌への誘いの4つの文章を学びました。
5、 何を歌うか
作品は強烈な主観に貫かれていなければならない。作品は作者の考え方、捉え方、言いあらわし方、どれも作者自身の手で作られるもので、そうでなくては作者が自分を主張することは希薄になってしまう。
6、 これから作歌しようとする人へ
大切なことは歌いたい中心を外さないこと。
自分の作った作品を作ってしまってからしばらくの間は見ないで放っておく。作り上げてすぐに自らの作品の不備を発見することは、よほどの練達者でも困難なこと
7、 普段着の言葉
自分の作品は誰でも理解してもらえるという錯覚におちいりがちなものなのだ。だから作品を作るときは、表現は、共通の約束にしたがった表現にしたがうべきである。文法を大切にしてゆかなければならない。
歌をつくりはじめの人からよくきく言葉だが自分は歌の言葉を知らないからどうしたらいいかということだ。およそ歌専門の言葉等ありはしない。もしあったら、そうした言葉はなるべく使用しないことだ。
8、 生活に密着したところから
今日の短歌の多くは生活と密着したところから歌われていることを否定することはできない。私は短歌をつくろうとする人々に対しても、かまわず自らの生活からその素材をとりあげてほしいと思うのである。その場合に生活のわくを狭義に解さないで、広義にもっていってほしいのである。そうすれば、今日の短歌作品は私たちの今日を支えてくれる詩の一つとして有効であるばかりでなく、さらに明日への詩としての生命をもつものと信じるのだ。
新日本歌人我孫子支部湖畔短歌会は学習会と短歌会を第二日曜日13:00―16:30千葉県新松戸駅前の幸谷ふれあい会館で行っています。
ご興味のある方で遠くない方は是非覗きにおいで下さい。
2018年11月12日 大津留公彦
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2017年の大津留公彦の俳句
白木槿
「歌碑のある風景」を紹介します。
私も三郷市の万葉歌碑を紹介しています。
短歌は新日本歌人
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