鈴木太郎詩集―こだまする風景―を読んだ
鈴木太郎詩集―こだまする風景―を読んだ
この詩集を読んで一つ思ったことがある。
短歌には連作という手法があるが詩とはその連作ではないかという思いだ。
我が「新日本歌人」にも最近は五行歌が登場しているがその連作はまさに詩と言うに相応しい。俳句→短歌→詩→小説という流れはないだろうか?
私は俳句を作りそれから短歌を作ることを一つの作り方としている。
一つのテーマで八首作ることにしているので合計二百四十八音の詩とはいえないだろうか?
そこから小説までは距離があるが、昔自分が書いた詩を基に掌編小説にしたことがある。
いづれ詩にも小説にも挑戦してみたい。
昔短歌の世界にも「詩への解消」という流れがあった。
今はその流れは否定されている。
いずれにせよ文学四ジャンルはそう遠い位置にはないと思う。
まあ近くに住む親戚位の関係ではあると思う。
「こだまする風景」は鈴木太郎さん(以下いつもように太郎さんと呼ぶ)の傘寿を記念しての七冊目の詩集です。
この本のタイトルとなっている「こだまする風景」という最初のフレーズはこれです。
ふと立ち止まってしまう風景
それは決まって秋の夕暮れ
広い野原がひろがっている
七音が六回繰り返されて計四十二音です。
一つ次のフレーズはこれです。
誰かが叫ぶと
誰かが叫んでいるように
こだまが帰ってくる風景
そのなかにじっと息をひそめる
四十六音です。
人が生きるということは
ありのままがいいのだ
つまらない相克にまみれた
いつわりの衣装が多すぎる
四十七音です。
それぞれを私風にアレンジして定型短歌風にしてみますと
広い野原
ふと立ち止まってしまう風景
それは決まって
秋の夕暮れ
こだまくる
誰かが叫んでいるように
そのなかにじっと
息をひそめる
つまらない
相克まみれのいつわりよ
ありのままがいい
人が生きるは
無理に短歌風にしてしまいましたが元のままで短歌として認めよと言われれば私は認めます。
短歌も俳句も詩の一部だと思います。
この一連の詩の中で印象的だったのは「ごんぼ、食いたい」と「河内が好きや」の故郷シリーズです。
おかんの夢は見たけれど
おとんの夢はまだ見たことがない
(二十八音です)
果たして太郎さんはおとんの夢を見れるでしょうか?
この詩集は「七月の太陽」という印象的な詩で締めくくられているのでそれの最後のところを紹介します。
あなたは
いつのときも戦争反対の旗幟を鮮明にして
いのちをかけてきた
貴重な時間を刻みつづけてきたのだ
風に揺れていた苗木も
いま大樹になって花を咲かせ葉を繁らせている
それぞれの歴史を積み重ね
紺碧の空は強靭な響きを讃えている
あなたは
明晰な理性とともに
新しい地平にたっている
太陽は頭上に輝いていた
あなたが誕生したのは七月だ
――
明日この「あなた」は誰かを太郎さんに聞いてみようと思います。
2020年6月25日 大津留公彦
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