君は西田信春を知っているか?([西田信春―蘇る死]を読んで)
君は西田信春を知っているか?([西田信春―蘇る死]を読んで)
私は西田信春という人を友人から回って来たこの本で初めて知った。
西田信春は奈良の十津川をルーツとし1903年(明治36年)に北海道の新十津川で生まれ、大学時代や仕事を東京でし、1933年(昭和8年)2月11日に福岡で官憲により殺された。
小林多喜二と同年生まれで同年に殺されている。(死亡日は西田が9日早い)
どちらも30歳の若さであった。
九州人であり、福岡で学生時代を送った私としては地名等に馴染みがある。
弁護士の諌山博さんや議員となった田代文久さん(と思われる)も登場し、福岡にとっても西田信春さんは大事な人だったことが分かる。
著者の上杉朋史さんはこの本を書き上げて直ぐに亡くなっているが、この本の執筆動機をこう書いている。
「私が「西田信春とその時代」(元の題)、とりわけ昭和初期の時代背景にこだわって描こうとしたのには理由、動機がある。私自身がその「晩年」を生きる今日の日本の政治状況が、西田の時代ときわめて相似的に映ずることへの危機意識が私の中にあるためだ。」
第二次安倍政権から今に至る時代状況を言っている。
この本の解説の中で荻野富士夫は出版の動機をこう書いている。
「ともにほぼ同時代に相次いで特高警察の犠牲となった岩田・西田・多喜二、そして野呂は、同じ政治・社会状況のなかで変革の意志をもちつづけ、それゆえに理不尽な死を強要されたといえる。岩田とともに文筆によって世に立つことのなかった西田を、しかも現代の政治状況と対峙させつつ蘇らせたいという上杉氏の意図を実現させるためにも、この原稿は書籍のかたちで世に問う必然性があると考えた。」
少なくともこの二人の思いは私という一人の読者にヒットした。
本論とは関係が少ないが西田と半年間福岡で活動した牛島春子の1957年の事として作者が書いているが「福岡郊外の旅館「ひかり荘」の一室で往時の保護観察所で世話になった人たちの集まりに出席した。「ひかり荘」の主人中村勉は、かつての運動の同志で、夫人は作家火野葦平の妹であり、長男哲はペシャワール会の医師としてパキスタンやアフガニスタンで現地医療などにとりくんでいる人物である。」とあった。
「かつての運動の同志」の息子である中村哲さんに思いは引き継がれていたが昨年末に西田達とは違う形ではあるがやはり殺された。
この本が多くの人に読まれる事を望みます。
2020年6月10日 大津留公彦

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