五行歌に興味を持った ―五行歌交流誌 南の風 十五周年記念歌集―を読んだ
五行歌に興味を持った
―五行歌交流誌 南の風 十五周年記念歌集―を読んだ
この歌集を読んで五行歌というものに興味を持った。
私は短歌を作っている。我が「新日本歌人」には「行分け」欄というものがあり、この本を送って頂いた福岡の高原伸夫さんはその欄の投稿者だ。そこに投稿される歌が短歌なのかというのはいつも誌上で議論されている。
短歌というものが五七五七七と五句組み合わせた三十一文字の歌体という意味では短歌ではない。しかし短歌雑誌「新日本歌人」の「行分け」欄に高原さんらの歌が業分け欄に掲載されているのは短歌として評価されているからだと思います。私も時々この「行分け」欄にほぼ定型の歌を、行を分けた方がいいと思うときに投稿している。
そぅいう意味では五行歌というのは短歌(特に行分け短歌=自由律短歌)と詩の間に跨ってある詩形なのでしょう。
五行歌の約束事は五行に分けて書くということだけのようですから短歌より制約は少ないでしょう。五行歌の字数には大きく差があるようです。(選んだ歌の中では二十三音から六十四音まであった。)
私は俳句もやりますが俳句には季語等の約束事がありもっと制約があります。
五行歌のいいところは詩のような構成を考える必要も無く短歌や俳句のような音数等の制約もないということでしょう。
尤も長年短歌や俳句をやってきた者には音数の制限がないという事は歌の調べが出来ないということを感じざるを得ません。従って暗唱性が弱いと言えるでしょう。ただ世の中の流れがこういう自由な詩形を求めているのかも知れません。
短歌や俳句は教科書に載っていますが五行歌は載っていません。五行歌はこれからの詩形なのかも知れません。
何れにせよ短詩形文学は短いのでSNSなどとは親和性が高く全体としてこれからの文学だと思います。
以下選んだ十首を挙げて終わります。
――
医師中村哲氏のお別れ会参列
国境を越えて
無念と感謝の想いを
胸に刻んで生きる
「天、共にあり」 えこママ(福岡)
どんな嫌な過去も
「日にち薬」で癒される
時間は記憶の彼方へ
運び去る
心に折り合いを付けて暮らす 江頭祥子(福岡)
パンデミック
世界中の人々よ
戦う相手はコロナだ
人間同士が
争っている時じゃない 岡田喜代子(茨城)
もう一度
満ちるために
一度
欠けることを
選ぶ 甲斐みどり(福岡)
刷り硝子に映る
あなたと私が
描く曲線は
黄金色の夕焼に
クリムトの『接吻』 数 かえる(東京)
あなたの身に起きた事
あなたと共に
死んでいった 多くの人の事
伝えていきます
それが私に出来る事
私の祈りとともに 空(福岡)
自分とは何なのか
いかに生きるべきかと
交わした交換日記
今は本立ての端で
眠っている 熊谷敦子(福岡)
(特選)自分史を語る時
キーワードは
水俣病
被爆者
そしてつれあい 熊谷芳夫(福岡)
人間にも
器がある
中村哲さんのような
高潔な人物と
私欲・卑小の総理と 高原伸夫(福岡)
いいこともあるな
何だか生きることに
ひたすらに
なって来た感じ
残りの人生少なくなって 高原美智子(福岡)
以上です。
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