俳句に見る4月21日の思い出
俳句に見る4月21日の思い出
twilogというソフトでTwitterに流した同じ日の自分の俳句が分かります。
雲丹という季語でこういう俳句を作っていた。
2019年04月21日(日)
雲丹採りし記憶の中に母が在り
2011年4月21日(木)
ムラサキウニ母と剥きたり血にまみれ
そこにはこう書いていました。
「長崎五島で義理の母とウニを取りました。身を取り出すときに手が血だらけになりました。
懐かしい思い出です。今娘と孫がその母に世話になっています。」
この頃福島原発の被害から逃れる為に娘と孫たちは五島に避難していた。
義母は長崎の被爆者で逃げて来た孫に「ばあちゃんなんか66年間ピンピンしている」と言っていた。義母は女学校の頃勤労動員された軍需工場への通勤時に被爆し寮に電車で帰ろうとするがなかなか乗れずあの時ほど力の強い者が勝つと思った事はないと語った事があった。被爆の話を聞いたのはその一度だけだった。
その年義母は急性白血病で亡くなった。 大津留公彦
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