金子兜太を味わおう!
金子兜太さんの文章を読んでいる。
軽妙洒脱というか男気があるというか独立不覊というかとにかく味わいがある文章だ。
インタビューの兜太さんの言葉を部分的に引用します。
ーー
私の場合は、俳句つくりでも特殊な人間でね、私自身が俳句なんですよ(笑)。私は埼玉県の秩父盆地で生まれました。山国ですな。そこで育っていく過程の中で、私の体の中に、俳句と言える要素が染み込んでしまったんですね。
私の父は秩父で開業医をしていたのですが、伝統芸能みたいなものにも興味があって、うちで明治神宮の遷座にあたって奉納する秩父豊年踊りの練習をしたり、句会が開かれたりしたものです。うちは農家でしたから庭が広うございましてね。そこで皆で集まっては練習していたのです。私が小学生のころでした。寝る時は、そういう秩父音頭の囃子や歌を聞きながら眠っていたわけですが、秩父音頭の歌は「七七七五」でしょ。五七調、七五調は、日本書紀以来の日本の古い叙情形式の基本です。それが私の耳から、頭の中に染み込んで、やがては体に染み込んだわけです。これが一番大きかったと思います。
24歳で兵隊として戦線に出た時は、俳句なんて作るもんじゃないと思いました。目の前で人が無残な亡くなり方をするのを見て、愕然としましてね。戦争の悪を痛感しましたし、自分はその現場にいて俳句なんて作っている、そんなゆるい気持ちじゃだめだ、せめて亡くなった方のためにも、俳句をやめて、ひたすら現実と向かい合い、戦争なんてない世の中を作りたいという気持ちでした。気取った言葉だけれど、死者に報いる仕事をしなさいと自分に命じて頑張ったんです。頑張ったんですけれども、そんな状態の中でも俳句が出来てしまう。歩いていても、くしゃみをしても出来てしまう。そうやって出来た句を捨てる程のこともないと思って、その辺に書き留めていました。結局、俳句人間のままです。
俳句の「五七五」というのは、五七調の最短定型、つまり一番短い日本の定型詩です。その魅力は、作れば作るほどに見えてくるものです。五七調のリズムによって、言葉は少なくても、心の中でその風景がぶわーっと膨らむんですね。それは、長い文章で伝える程の、いやそれ以上の効果を持っている。というのも五七調は音楽の塊。だからそれに乗ると、言葉がうんと響くのです。
日本人は俳句に対してもっと自由にならないかなぁと思います。「てにをは」がどうだとか、季語が入るとか、これは川柳なのかとか、どうでもいいじゃないですか? せっかく日本に古くからある定型詩です。うまくできるだろうかと恥ずかしがっているのは、トイレに入って、自分のおならに恥ずかしがっているような感じでしょう?(笑)どんどん詠んだらいいのです。自由に、心を開いて、馬鹿みたいな顔で俳句を作ってご覧なさい、と思いますね。
俳句に限らず、何についても言えるのですが、日本人というのは、何かする前に、自分のフンドシを締め直してみたり、形から入るでしょう? そうじゃなくて、フンドシなんて履いていなくてもいいから(笑)、やってみようとぱっと飛びつくような自由さがあればと思いますね。
あの句(「やれ打つな蠅が手をすり足をする」)の解釈が理解できる感性というのは、なぜか女性に多いんです。そういう感性というのは、女性の方がやはり素朴で生き生きしていますね。男性は何となく癖や理屈が付いているんでしょうか。理屈が付いた感性では、あの句は分からないですよ。
以前、カルチャーセンターで句を教える講座を持っていましたが、第1回の講義では、開口一番「皆さん、理屈は忘れて感覚で作って下さい。五七五もどうでもいい。五七五なんて、皆さんの体の中にあるんだから、その自分の体の中にある俳句という形式を使って、とにかく感覚で作って下さい」とお話ししたんです。そうしたら女性達は嬉々としてどんどん良い句を作るんです。ところが、定年退職組が多い男性陣は、今まで勤めて来た体験の集積を頭の中で作り上げて、思想にして、それを俳句にしようとするわけです。つまり人生観を書きたいんであって、感覚なんかで書きに来たわけじゃないという思いがあります。でもだからなかなか良いものが作れません。そのスクールで教えた3年間、圧倒的に女性の句の方が良かったですね。スクールが終わって帰る時に、女性は皆胸を張って颯爽と帰るのに対して、男性は悔しそうにうなだれて帰っていく、あの風景が、愉快で愉快で今でも忘れられません。はははっ(笑)。だから感覚が大事なんですよ。それが始まりなんですよ。
もう一つ、私が80歳の時に女房に先立たれて痛感したんですが、人間は亡くなっても命はなくならないという確信を持ったんです。それまでもそういう思いはありました。小林一茶や放浪俳人と呼ばれる種田山頭火の生き様を見ていると、命は死なないと感じてきたんです。亡くなっても他の所で生きているという「他界説」というものがあります。命は場所を変え、姿を変え、移っていっているだけだとーー女房が去ってから、確信は強くなりました。最初は、女房の命がなくなってしまったと思いたくないという気持ちからだったでしょうが「そう思えない」と確信を持つようになったんです。「確信」というと人為的ですけれど、今は、自ずとそう思ってしまうのです。こうして話していても、あなたも私も二人ともいずれは逝くという形は取るけれども、互いに命はどこかで生きていて、またどこかで会えるだろうと思うーーそういう気持ちが身に付いたことが、私が今、元気でいられる理由じゃないかしら。とにかく「死」と言った時の、あの不気味な物悲しい感覚が…全くないとは言いません。でも、ずいぶん遠ざかってしまっているというのが事実です。だから非常に気軽な状態で、目の前に、ブドウのように死がぶらさがっている感じです。つまんで食ってもいい。そんな感じがねぇ、あるんですよ。
COMZINE 100号より
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no100/wise/index.html
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