「飛べないくまんばち」を観た
東京芸術座の「飛べないくまんばち」を観た
9月1日のオンラインのライブ配信で観た。
仕事の帰りの電車の中はスマホで観た。(友人が出てくる場面は自転車で走っている時だったのでよく見れなかった。)
家に帰ってパソコンで観ようとしたがタイムラグがあるので結局音はスマホで聞きアップで観たいときはパソコン画面を見た。テレビで観ようかとも思ったがHDMIケーブルの長さが足りなかった。10Mのケーブルは必要なので購入しようと思った。
「飛べないくまんばち」は不思議なパントマイム劇で父親がくまんばちになっていろんな場面で出てくる。通勤の場面、「彼女」とのデートの場面、パンつくりの場面。結局はくまんばちは自分ではと展開する。
若い人が中心の劇なので言葉使いも感覚も若い。
若い人が乗りやすい結婚詐欺や事業詐欺も出てくる。
そして労働健康党の党員だった父に連れられて行った原水禁広島大会が出てくる。最後には福島のバザーの為にパン作りに行くというところで終わる。
一般の商業演劇ではなかなか出てこない設定だ。
映画の1時間45分に慣れているので1時間15分はすぐ終わった感じだ。
物語はこう始まる。
――
あの日も朝からいつものように、スクーターに乗って工場へ向かってた。少し寝坊して、少し遅れそうだった。遅刻には厳しい勤めだったから、スクーターを飛ばしてた。
でも別に、仕事を大事に思ってるとか、なにか責任のある立場にあるってわけじゃない。組織の一部。機械の歯車。交換可能。僕がいなければその日1日 の効率が少し落ちるってだけだ。代わりはだれだっているし、必要とされてるわけじゃない。僕も遅刻をすればその分自分の賃金が減るわけで、それは即、その 日のおまんまに直結する。つまり、コンビニで買う弁当がワンランク落ちるってわけだ。
と――目の前をなにかが横切った。小さな、でも感覚的に危険だってわかるヤツ。黒くて、寸詰まりで、ブンブンうなってて――ハチだ。くまんばち!
――
シナリオはここで読めます。
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