「こころ」のKは石川啄木(評論)
「こころ」のKは石川啄木
高橋源一郎さん「名作の読み方」 の講演動画を見た。
夏目漱石の小説「こころ」の中にKという登場人物が出てくるがそれは石川啄木であると作家高橋源一郎は言う。
この説が出て暫く経つが反応が全く無いという。
前に妻に言われて読んだ「日本文学盛衰史」の「what is k?」と題した一章にも書かれていた。
私は啄木愛好家の一人としてあらためて反応しておきたいと思います。
多分この推論は正しいと思います。
漱石の「こころ」は大逆事件の三年後に出されている。この歴史的大事件の全貌を啄木と共に朝日新聞にいて知る立場にあった漱石が知らないはずがないし、文学者として痛痒を感じず、反応していないはずがないと思い高橋源一郎は探したが、それがここに行き着いた。
当時漱石は朝日新聞の文芸欄の責任者であった。
啄木の最も評価されている評論「時代閉塞の現状」は大逆事件に反応して書かれたものであり、「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住折蘆の同欄投稿論文への批判として書かれている。
こころに出てくるKの人物描写で「寺の小僧で養子に出され名前を変えた」というのは啄木しかない。
ちなみに啄木の母カツの旧姓は工藤(K)であり啄木の産まれた時の名前は工藤一である。
啄木が小学校2年生のとき僧侶であった啄木の父親は妻がいることを公にして、ここで初めて啄木も父親の「石川」という名字になりますがあくまでも戸籍上は養子というかたちです。
さて「時代閉塞の現状」が朝日新聞文芸欄の論文への批判として書かれたのであれば当然その批判は文芸欄に載せられなければならないがこの論文が公表されたのは啄木の死後である。
考えられるのは文芸欄の責任者であった漱石が啄木に大逆事件についての文章の執筆を依頼したがこの評論を読んで、権力の弾圧を考えて結局文芸欄に載せなかった可能性がある。
漱石は「時代閉塞の現状」掲載キャンセルの代わりに啄木を朝日歌壇の選者にしたのかも知れない。時間的にはありうる話だ。
高橋源一郎は作家的推論で漱石と啄木の日記が欠けている時に二人は会っていたのではないかという。
そういう意味では漱石の「こころ」はKという人物を登場させての啄木への鎮魂歌であるかも知れない。
短歌
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-710dfb.html
参考
「人生に、文学を」オープン講座 in 神戸女学院大学 2017年6月10日(土)第7講 高橋源一郎さん「名作の読み方」
https://youtu.be/w2e4XoP2rXI?si=m5jE6YzccViknKtt
NHK読むらじる
石川啄木の「絶望名言」前編
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/zet20231023.html
「こころ」から何が見えて来るか
佐藤泰正
https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/1305/files/136641#:~:text=周知の通%20り啄木,篇を書いている%E3%80%82
時代閉塞の現状
(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)
石川啄木
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