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2024年6月 5日 (水)

ドナルド・キーンの子規と啄木

2024/6/4毎日新聞からのドナルド・キーンの子規と啄木についての記事の紹介です。「啄木こそが最初の近代日本人である」というキーンの理解の端緒が分かります。

英語部分は翻訳しました。

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東日本大震災後に日本国籍を取ったことで起きた「ドナルド・キーンさんブーム」が一段落し、キーンさんは石川啄木の評伝に取り組むことになった。2014年から1年半の連載は、英語の原文を角地幸男さんが和訳する形で進められた。連載は後に「石川啄木」という書名で出版された。

 啄木への思いは原文で見てみよう。まず近代俳句の祖、正岡子規を取り上げ、さらに新しい感性を持った短歌や詩の改革者として、啄木を紹介している。

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以下ドナルド・キーンさんの英文の翻訳です。

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この新しい運動のリーダーである正岡子規(1867-1902)の詩は、桜や紅葉の美しさを詠んだり、他の美しいが枯渇した詩の題材を詠んだりすることはほとんどなかった。 その代わり、子規は自分が感じ取ったことを、伝統的な詩歌の読者には詩的でないと思われようが気にすることなく詠んだ。 子規が現代日本語で詠むことにこだわった結果、短歌と俳句は新しい時代に突入し、1880年代から日本の詩人たちを席巻したヨーロッパの影響によって両形態が破壊されるのを免れた。

 

それだけで子規が近代俳人になったわけではない。 近代詩人のように深い感情を吐露することはほとんどなく、一人称で自らを語ることもめったになかった。 彼の最もよく知られた短歌の連作は、語られることのない背景の詩を理解する必要がある: 子規は、病気でほとんど半身不随の状態でこれらの句を詠み、やがて命を落としたことを明かしていない。

 

子規とは異なり、啄木は真に近代的な詩人であった。 今から60年ほど前、京都大学の哲学教授であった小坂正明は、啄木こそが最初の近代日本人であると確信していると私に語った。 この言葉は私の記憶に残っているが、当時は啄木の作品をよく知らなかったので、何が彼を「近代的」にしているのか理解できなかった。

 

[最初の近代日本人-石川啄木の生涯]

 

2024/6/4

毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20240603/k00/00m/040/074000c

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