映画「木の上の軍隊」を観て
映画「木の上の軍隊」を観て
――戦争は終わっても、戦争を終われない人間たち
映画「木の上の軍隊」を観た。
胸に残る映画だった。
沖縄・伊江島。
激しい戦闘の中で二人の日本兵がガジュマルの木の上に身を潜める。
そして二人は、戦争が終わったことを知らないまま、実に二年間も木の上で生き続ける。
これは実話に着想を得た物語である。
井上ひさしが原案を残し、舞台作品となったものが、戦後80年の2025年に映画化された。
映画を観ながら、何度も考えた。
いったい戦争とは何なのだろうか。
木の上にいる二人は、敵が来れば殺されると思っている。
だから銃を手放せない。
食べ物もない。
いつ終わるのかも分からない。
それでも「戦争はまだ続いている」と信じている。
しかし、地上ではすでに戦争は終わっている。
この「時間のずれ」が、何とも恐ろしい。
戦争は、銃声が止んだから終わるのではない。
戦争を信じ込まされた人間の心の中には、
戦争が終わった後も戦争が残り続ける。
この映画が恐ろしいのは、そこだと思った。
「命令」と「自分の命」
堤真一演じる山下少尉は、軍人としての使命を背負っている。
一方、山田裕貴演じる安慶名は、沖縄出身の青年である。
二人は同じ木の上で生きながら、戦争に対する思いが少しずつ違っていく。
「国のために死ぬ」という価値観と、
「生きたい」という人間としての本能。
その二つが木の上でぶつかり合う。
しかし、最後に残るのはやはり、
「生きたい」
という極めて人間的な願いなのではないか。
国家は「命を捨てろ」と言うことができる。
軍隊は「命令だから戦え」と言うことができる。
でも、一人の人間の命は、
国家の命令よりも重い。
映画を観ながら、そんなことを強く感じた。
沖縄の戦争は「過去」ではない
この映画の舞台となった伊江島では、沖縄戦の激しい戦闘が行われた。
沖縄戦は、日本軍と米軍が戦った「戦場」であると同時に、
そこに暮らしていた住民が巻き込まれた「住民の戦争」でもあった。
だから沖縄戦を考えることは、
単に「昔の戦争」を学ぶことではない。
戦争になれば、
最初に犠牲になるのは誰なのか。
兵士だけなのか。
いや、そこには普通の暮らしをしている人々がいる。
子どもがいる。
高齢者がいる。
女性がいる。
農民がいる。
その日まで普通に暮らしていた人々の生活が、一瞬にして破壊される。
それが戦争なのだ。
ガジュマルの木が語っているもの
この映画で忘れられないのが、二人が身を寄せるガジュマルの木だ。
木は二人を隠し、
二人の命を守る。
同時に、その木は二人を戦争の時間の中に閉じ込めてもいる。
何とも皮肉な存在だ。
人間が殺し合っている間も、
木はそこに立っている。
雨が降れば雨を受け、
風が吹けば風を受け、
太陽が昇れば太陽を受ける。
人間は戦争を始める。
しかし自然は戦争を始めない。
そんなことまで考えさせられた。
「戦争が終わった」と誰が伝えるのか
二人が木の上に残された最大の悲劇は、
「終戦を知らなかった」ことだ。
情報が届かない。
戦争の現実が見えない。
そして何より、
「戦争はまだ続いている」と思い込んでいる。
これは、現代にも通じる問題ではないだろうか。
戦争では、情報そのものが武器になる。
何が真実なのか。
誰が何を伝えているのか。
それを見極めなければならない。
戦争は銃やミサイルだけで始まるのではない。
「敵は悪だ」
「戦わなければならない」
「国のために命を捨てるのは美しい」
そんな言葉が、人間の心を戦争へと向かわせる。
だからこそ、
戦争を始めないためには、戦争を美化する言葉に抗わなければならない。
「戦争をしない」という選択
映画を観終わって、私は改めて思った。
戦争には勝者も敗者もない。
あるのは、
死んだ人と、
残された人と、
傷ついた人だけだ。
そして戦争が終わった後も、
その傷は何十年も残る。
だから必要なのは、
「どうすれば戦争に勝てるか」
を考えることではない。
「どうすれば戦争を起こさないか」
を考えることだ。
軍備を増やせば本当に平和になるのか。
相手より強い武器を持てば戦争を防げるのか。
それとも、外交によって対話を続け、
相手国の国民もまた人間なのだと認めることの方が、
本当の安全保障なのではないか。
「木の上の軍隊」は、
そんな問いを静かに投げかけてくる。
戦後80年の夏に
2025年は戦後80年だった。
しかし80年たっても、
私たちは沖縄戦を語り続けなければならない。
広島を語らなければならない。
長崎を語らなければならない。
そして、
戦争で亡くなった一人ひとりの命を忘れてはならない。
なぜなら、
戦争を知らない世代が増えることと、
戦争を忘れてよいことは、
決して同じではないからだ。
むしろ体験者が少なくなった今だからこそ、
私たちが記憶を受け継がなければならない。
映画館を出た後、
私は空を見上げた。
あのガジュマルの木の上から、
二人の兵士はどんな空を見ていたのだろう。
「敵が来る」と怯えながら見上げた空。
そして、
戦争が終わったことを知らずに見上げ続けた空。
同じ空の下で、
今私たちは生きている。
だからこそ思う。
もう二度と、木の上で戦争の終わりを待つ人をつくってはいけない。
戦争を終わらせるのではなく、
戦争そのものを始めさせない。
そのために、
過去を知り、
現在を考え、
未来を選ぶ。
「木の上の軍隊」は、
私たちにそのことを問いかけている映画だった。
映画「木の上の軍隊」を観て1
(短歌)
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