啄木と一茶
たまたま持っている1997年に大阪で発行された「石川啄木の会」発行の「新しき明日」第19号に安井ひろ子さんの「啄木と一茶」という文章があった。
717短歌俳句勉強会で啄木と一茶と芭蕉の勉強を始めるに当り相応しいのでご紹介します。
この文章は軽妙なエッセイです。なにせ啄木と一茶と安井さんの三者鼎談なのですから。
(こういう文章の書き方があるのだということに感じ入りました。)
(第18号にはゲストとして前に学んだ橘曙覧も登場している。)
この鼎談の内容は極秘事項のようだがここに書かれていることを一部紹介しよう。
貧乏比べ
――
自分を上回る一茶の貧乏ぶりに啄木はかなり気を良くしたようだ。
秋風や家さえ持たぬ大男 一茶
「詩集「呼子と口笛」の<家>の詩が語るように、啄木にとって心から求めてしかし最後まで得られなかったのが安住の<家>であった。」
梅咲くやあわれ今年も貰餅 一茶
春立つや四十三年人のめし 一茶
借金を重ねたまま二十七歳で逝った啄木。四十三歳まで他人のご飯を頂戴してきた一茶に比べれば何のことはない。啄木も自分の借金魔の悪評が多少なりとも緩和されたようで今回の鼎談は嬉しかったのではなかろうか。
――
春立つやの句は享和四年(文化元年)の歳旦句
貧乏比べのような様相だが、大衆性ということで通じ合うものがあるとしている。
江戸と東京への憧れと反発
――
ちち母は夜露うけよと撫でやせめ 一茶
(訳 父や母が冷たい夜露を受けさせるために撫でて子どもを育てたのだろうか。)
という句を一茶に披露させている。
(蕪村の「鰒(あわび)喰へと乳母はそだてぬ恨みかな」(落日庵句集)をヒントにして、一茶の継子意識から生れた句作り、貧窮問答歌の「われよりもまずしきひとのちちはははうゑこゆらむ」(万葉集・巻五)の影響もあるだろう)と「一茶句集」の解説にはある。
生涯二万句以上を残した一茶は蕪村の影響を強く受けている。
そして啄木の流浪生活を共感して「信濃の山猿一茶」がこういう自句群を述べている。
春の雪江戸の奴らが何知って
初雪や江戸の奴らが何知って
名月や江戸の奴らが何知って
秋の風江戸の奴らが何知って
江戸への複雑な感情が初句以外は「江戸の奴らが何知って」で統一されている。
一茶の並々ならぬ江戸への憧れと反発が感じられる。
この句は最近大阪で発見された句か、一句も「一茶句集」には収録されてない。
下ネタ話
下ネタ話も共通項が紹介されている。
啄木は「ローマ字日記」で詳細に記事を残している。
ドナルド・キーンはこれを最高の日記文学と評している。
一茶は「千束町のお女郎さんや飯盛の八兵衛を相手に相当遊んだようだ」と安井さんにばらされている。
啄木と一茶はこれ以外にも大層筆まめなことと反エリート意識の強いことで意気投合したようだ。
安井さんは最後にこう感慨を言う。
――
今日においても金にも飾りにもならない俳句と短歌。一茶に引かれ、啄木に曳かれてこの魅力的な旋律のとりこになった人々が日々や句を歌に詠みつつ明け暮れる。
そういう私だって。
――
安井ひろ子さんは現在、秋沼蕉子さんとして「新日本歌人」誌に歌の投稿を続けている。
この四月号にこういう歌がありました。
p28このことばメールで打つたび迷うなり(素敵、素的、すてき、ステキ)どれがいいやろ
大阪 秋沼蕉子
★自由な言葉使いが素敵です。
以上です。
2019年4月10日 大津留公彦
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