2024年11月 13日 (水)
真ん中に
空き地の広がる棚塩産業団地
原発反対のジャーナリストの土地
浪江町は
墓の墓を作ったが
双葉町は海に流した
請戸小の
子どもらが逃げた大平山
低学年にはそれなりの距離
自らで
除染をせねば罰金食らう
建物は軒並み無くなってしまった
富沢酒造
家族毎アメリカに行ってしまった
大きな工場建屋を残して
福島の地酒「白冨士」 Made in Seattleで復活:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD094OF0Z00C23A5000000/
放射性
廃棄物である建物は
勝手に処分はできず廃墟に
双葉町の
85%はこれから除染
鵜沼さんの帰れる日はいつ
6月9日(日)14時からの武藤類子さんの講演会に参加した。
「キビタキとわらしの会」主催の会で、
「誰も責任をとらない
3.11 福島原発事故
あれから13年フクシマは今
武藤類子 講演会
=東電刑事裁判と汚染水排出について=」というタイトルが付いていました。
放射性物質が安全だと思わされている高校生のことや放射線量の高い福島原発のマスクもしない見学会の写真には驚きました。
政府の資金で虚偽を広める大メディアに負けず真実を伝えることの大事さを思いました。
通常は100万人に1~2人といわれる小児甲状腺がん。福島の子ども達約38万人の中で、がん確定患者が276人、がんの疑いも含めると330人もが罹患している(2023年9月末現在)。突出した数字と言えるが、県はスクリーニング効果や過剰診断の結果と結論づけて、福島事故との因果関係を認めようとしていない。
この事実を認めない福島県の姿勢も情けない。
最後のアメリカの友人から教わったというインドの作家のこの言葉が印象的でした。
「愛すること、愛されること、自分のちっぽけさを忘れないこと、自分のまわりの言いようのない暴力や下品な格差社会に慣れないこと、最も悲しい場所に喜びを求めること、美をその隠れ家まで追い求めること、複雑なものを単純化したり、単純なものを複雑にしたりしないこと、決して力ではなく強さを尊重すること、何よりも見守ること、理解しようとすること、決して目をそらさないこと、そして決して決して忘れないこと」
開会挨拶は小見山政男さん
閉会挨拶は今村典子さんが行いました。
5月26日の伊方原発を止める会の第14回定期総会・記念講演会 での武藤類子さんのお話がほぼ同じだと思いますのでスライドなどはそちらをご覧下さい。
2024年2月13日(火)
解体・撤去すべき遺物か
「ベースロード電源」
海外ではそうは言わないが
電気工事士試験では必須
原発の
補助に火力発電使う
これでは再生可能エネルギー伸びぬ
原発の
新設コストは高過ぎて
60年に延長稼働する
再エネも
半導体も同じカーブ
日本のシェアの低下トレンド
宮古島
メガソーラーやめて
マイクログリッド
精密制御が目指す未来か
https://youtu.be/Ym0E--_3x3A?si=B0tDEKyQ1AasRv3k
10年間で
70億円超の貢ぎ金
自民党に入り原発推進
能登半島地震が
あっても「原発再稼働」
「地獄の軍団」とまさにいうべき
自民党と
原発村は人類の敵
解体・撤去すべき遺物か
https://x.com/akasakaroman/status/1757024916141117502?s=46&t=OH2VE9TATnyqwxoT-aT5eA
ちょっっと引用
私の青春時代には、グループ・サウンズと呼ばれる音楽
が流行していて、その中にザ・タイガースもいた。そのリー
ドボーカルはジュリーこと沢田研二さんで、彼は今「わが
窮 状 (9 条 、小 出 注 )」や 「FAPP(福島原発、小出注)」
など、時代が抱える問題を鋭 く 告 発 す る 歌 を 歌 って い
る 。私 が 原 子 力 に 抵 抗 を 始めた頃、彼もまだ若かったが
「朝 焼 け へ の 道 」と い う 歌 を歌 っ た (C D 「J U L I E VI 」収
録1973)。その歌詞は、日本の著名な作詞家山路夫さんが書いたもので、一
節を引用すると以下のものだった。
今 君が生きる望み
失くし
暗い夜の中を
ひとりゆくとも
また空を染めて
朝は来るよ
長い夜もいつか
終わるものだよ
君よ うつむいてる
顔あげ
紅い朝焼けを見ろ
君の頬をぬらす涙
燃えて虹になる
全文はファイルで
2020年3月18日(水)
メルトダウンZERO
大津留公彦
十五メートルの
津波対策あったのに
武藤氏の下で保留となりぬ
柏崎の震災復興に気を取られ
福島に頭は
向いてなかったと
日本原電は
防水対策決めていた
横並びにて延期となりぬ
記載消す
貞観津波七メートル
東北電力も東電の指示で
バックチェックの
仕組み活かせなかったと述懐す
広岡元次長悔恨見せて
原発推進の経産省の
中にある組織で
規制出来る思っていたか
違う道は開いていたと
県元課長
廃墟と化した浪江の自宅跡で
吉井議員の
数々の質問に応えなかった
安倍晋三首相の事は報じず
教訓は
起こらないだろうなどでなく
怒るかも知れない
と言うことだろう
一首選んで頂けると有り難いです。
https://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20200315
たまたま7年前の今日の記事が出てきたので再掲します。
現在でも有用な記事だと思います。
殆ど東京新聞の記事の紹介です。以下元記事です。
ーー
東京新聞が 「シリーズ日米同盟と原発」の連載をやっている。
二ページを全て使った大特集で今日(1月23日)が第五回目だ。
なかなか意欲的な特集でありこれはいずれ本になり話題を呼ぶだろう。
今日の題は「毒をもって毒を制す」
米国の平和利用キャンペーンに如何に日本の関係者がコミットしたかがテーマである。よく知られた名前が出て来る。読売新聞にはとても書けない内容だ。
項目毎に少しづつ紹介しよう。
1.マスコミを取り込め
1954年のビキニ事件から半年後の新橋の寿司屋での会話がなまなましい。
米国務省の人間というワトソンはビキニ事件後の日本の反核世論にこう懸念を漏らす。
「何か妙案はないか、考えてくれ」
後で日本テレビ専務になる柴田秀利の言葉
「日本には「毒をもって毒を制す」ということわざがある。原爆反対をつぶすには原子力の平和利用を大々的にうたい上げるしかない」
ワトソンはこの助言に感激し、
「よろしい、それでいこう」と話し、柴田をぎゅっと抱きしめたという。
柴田は英語が得意で読売新聞社主の正力松太郎の懐刀だった。
CIA極秘文書にはこうある。
「大手日刊紙とつながりを持つため正力と柴田を取り込むべきだ」
翌1955年正月読売新聞は米原子力平和使節団を招聘する、と報じた。
交渉を纏めたのは柴田だ。
民間交流だったがCIAや米原子力委員会など米政府も関与していたことが判明した。
その年の総選挙で正力は富山二区から「原子力の平和利用」を公約に当選し政界入りを果たす。
2.平和利用で「ばら色」
1955年5月日比谷公会堂で米原子力平和使節団が講演会を行い読売が作ったばかりの日本テレビが中継した。
その後全国10箇所で米原子力平和博覧会が行われ参加者は260万人だった。
米国務省には「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)は日本で成功しつつある。」と報告が送られている。
それに協力した日本新聞協会の新聞週間の標語は「新聞は世界平和の原子力」だった。
3.念願の原子力閣僚
保守合同後の1955年11月の第三次鳩山内閣で正力は原子力担当大臣になる。
初当選で大臣になったのには警視庁時代に担当した政界工作で三木武吉や大野伴陸などの人脈があったから。
正力は親しかった橋本清之助や物理学者の嵯峨野遼吉を重用した。
橋本は中曽根に日本で最初の原子力予算を計上するように進言し、嵯峨野は国産でなく海外の原発を導入するように進言した。
4.「PODAMは協力的」
後に科学技術庁事務次官になった伊原義徳は正力からこう聞いたという。
「おれはプロ野球をビジネスとして確立し、テレビ事業も軌道に乗せた。次は原子力の平和利用に道筋をつけることだ。もたもたしていられない」
柴田の奥さんは正力は総理になりたがっていたと柴田が語っていたと証言している。
CIAの極秘文書で正力はPODAMと呼ばれており当選半年後の1955年8月には「PODAMは協力的だ。親密になることで、彼が持つ新聞やテレビを利用できる」と書かれている。
ちなみに元朝日新聞主筆で自民党副総裁を務めた緒方竹虎はPOCAPONだった。
5.木っ端役人は黙っとれ
正力は1956年に5年以内に原子力発電を実現すると発言し世間を驚かせた。
その発言の前日の原子力委員会の結論は「時期尚早」だったからだ。
委員の一人の湯川秀樹は「そんな話は聞いていない。自主開発の精神を冒涜する」と反発し1957年3月病気を理由に原子力委員会を去る。
5年後発言の1週間後鳩山一郎内閣は研究用原子炉を米国から買うことを閣議決定する。
しかしこれは出力はわずかなので大出力の産業用原子炉の提出を米国は渋ったので英国からコールダーホール原発の導入を決定した。
伊原はコストが高く採算が合わないと忠告したが正力に「木っ端役人は黙っとれ」と言われたという。
五年後宣言のわずか1年後に日本初の原発の建設が決まった。
英国から技術導入した東海原発は1966年に稼働した。
正力は1969年に86歳で亡くなった。
晩年はすっかり原子力熱は冷めていたという。
政界は石橋湛山、岸信介と総理が変わり核兵器配備の議論が起こる。
勿論岸は今の安倍総理の祖父だがどうも血は争えないらしい。
核兵器を持つために原発はやめられないというのが自民党の本音だ。
この日米同盟と原発の歴史を学ぶ意味が今非常に高くなっている。
今日はこれに展示説明員として参加しました。
パネルディスカッションなどには参加出来ませんでしたが展示会場で会った多くの人と知り合いになりました。
パネルに参加する前に柳田邦男さんが立ち寄って下さり不払いの事や昨日から始めたnowar575&57577の事をお話ししました。
今日が締め切りのクラウドファンディングをやっていた隣の
全国市民放射能測定所ネットワーク では寄付をされてました。
ソーラークッキングのコーナーがありやって見たいと思いました。
脱原発市民会議かながわ&ハーベストムーンLIVE 2015
開催日時:6月21日(日)11:30~19:30
会場:オルタナティブ生活館SPACE ALTA
(新横浜駅から徒歩7分、東京ガス手前)
是非熊坂さんと井戸川さんで話し合いをして下さい。必ず実りあるものになると信じます。
28日迄に書かれた署名のコメントは熊坂さんと井戸川さんに伝わります。
是非皆さんもコメントを書いて署名して下さい。
日本の未来の為に!
以下呼びかけ人の一人の太田さんのメールです。
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