
付されたる荼毘の煙と青嶺かな 公彦
昨日は父の10回目の命日であった。
思えばあっという間の10年であった。
関東大震災の年に生まれ東日本大震災の年に死んだ父は律儀で真面目な国鉄マンであった。
国鉄のパスを使って改札を通る時は人が通っていない時に必ず深く頭を下げて通れと言われた。
父の律儀さと真面目さを残りの人生に受け継いでいたいものだと思います。
以下
父の葬儀と妻との1週間の旅
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9593.html
から大分庄内の父の葬儀の部分です。
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5月22日(土)父5時14分に死去の報を主治医から5時24分に携帯に受けた。
妻と新幹線に乗り17時に由布市に着き19時からの告別式にのぞんだ。
前の日にも検査数字が先週よりも大分悪くなっているという電話を貰って心配していたが翌日に亡くなるとは思って居なかった。
肺炎が直接的な死因となったが内臓が既にかなり痛んでいたことも要因となった。
2月に大分に帰って遺漏を作る判断をした時が会った最後になった。
葬儀のことは通夜と告別式のお礼の言葉を基に別に書きましたが実に穏やかな最期でした。
夜は葬祭場に泊まり近くの温泉に歩いて行った。
5月23日(日)に告別式 火葬上で火葬し 会館に帰ってきて初七日の儀式を行った。
通夜は浄土真宗大谷派の僧侶で告別式はグループホームの付き合いのある浄土真宗の僧侶にお願いした。
その僧侶は何と由布市唯一の共産党の市会議員で翌日の役場の議会中継テレビでは質問をしていた。
夜はグループホームの人に湯平温泉に連れて行ってもらい夫婦で石畳の坂道を歩き銀の湯に入った。
5月24日(月)には役場で手続きをし残された母の話を半日妻と聞いた。
私はおじいちゃんな亡くなったけれど幸せが向こうから来る様な気がすると何度も言っていた。
夜は大分市内の温泉に入った。
5月25日(火)は又母の話を半日妻と聞いた。
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父が荼毘に付された由布市営火葬場「望岳苑」
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