カテゴリー「歌論」の記事

2024年8月17日 (土)

鈴木英子さんの歌集「喉元を」を読んだ

7月の関東近県集会で講演頂いた鈴木英子さんの歌集「喉元を」を読ませていただきました。多くの辛い人生の局面を感動的に詠まれていると思いました。

少し私の歌集作りへの刺激となりました。

私が印を付けた歌です。

p111

孫の名の出ぬみずからをほのぼのと笑えば名などささやかなこと

p120

狩りをして肉を捌いて食べて寝て愛して終わるたつきがあった

p140

山本で生まれ麻生に一度なり山本になりし少女がわが母

p161

人々の「めちゃめちゃ」総理の「丁寧に」詩歌なら具体なきおぼろ歌

関東近県集会の動画です。

小石雅夫さん講演

https://youtu.be/jT2RIJ3yF24?si=FgSdjnQYsVO0kT-7

鈴木英子さん講演

https://youtu.be/_OJPhf-6BVM?si=VZFz_hnjbnoCU6QG

https://www.amazon.co.jp/喉元を-鈴木英子/dp/4866293144/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=4IXYPDFPA7LL&dib=eyJ2IjoiMSJ9.uVf7RluNjnsGxfrNao_LWCwJPMTQ53UdB2WXNS3LnB1jI36cwyOvcFO0nVFCe-qozVnAz6Lr2iGCE9ZS40v4p1A_-uAOc98llm-945H6QVfffr1HRCpV_WAIrfxvozqPEyr7i2YNE5I00BVUpPA7xpBFBMfp5aneULs54IUiRJBB9Qhbk_wwtK2S6EvOoeMVk5NLxfI2t2WUiMKwy0MGvrwCE6hvfzWvCWpxugzZO5565zpV4MzkTNF7oI5LMqkJtr3iTjOUZcFNLoEW37aRsNqHzSF6W_7dpNj93tnaSmk.DEjv1AmSjfC8NzVOETrzOCuLb0_Q9oqevFUDVoWctp8&dib_tag=se&keywords=鈴木英子&qid=1723903491&sprefix=鈴木英子%2Caps%2C197&sr=8-2

2023年2月 3日 (金)

私の「ラーゲリより愛を込めて」と本 「収容所ラーゲリから来た遺書」 の感想文と短歌と山本幡男の俳句論など

私の「ラーゲリより愛を込めて」と本 「収容所ラーゲリから来た遺書」 の感想文と短歌と山本幡男の俳句論などです。

映画「ラーゲリより愛を込めて」を観た。 (生きる希望を捨ててはいけません)

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-892644.html

 

「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-21121b.html

「収容所ラーゲリから来た遺書」2

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-9ccd40.html

 

 

「収容所ラーゲリから来た遺書」3 https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-8552c5.html

 

「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」audible

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-21121b.html

 

山本幡男の俳句論

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-45cdbf.html

山本幡男の俳句論を短歌論に変えてみた

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-fee8df.html

2023年1月26日 (木)

「時代閉塞の現状」から  平和を守る旗幟鮮明に

戦争の足音が聞こえてくる

「時代閉塞の現状」から

 平和を守る旗幟鮮明に

 

以下JAの新聞の文芸アナリスト 大金義昭氏の記事からの一部です。

ーー

明治43年に20代半ばの石川啄木が「時代閉塞の現状」をしたためた背景には、「大逆事件」で幸徳秋水らの死刑を強行する明治末期の暗い世相があった。日露戦後の軍備増強路線がまかり通り、東京・大阪に社会思想を取り締まる特別高等警察が設置されていく時代だ。

この評論で啄木は行き詰まる「自然主義」思潮を批評し、「時代に没頭(ぼっとう)してゐては時代を批評する事が出來ない」と唱え、「嚴密に、大膽に、自由に『今日』を研究して、其處に我々自身にとつての『明日』の必要を發見しなければならぬ」と説いた。間もなく啄木は肺結核で夭折。評論「時代閉塞の現状」は、死の翌年に当たる1913(大正2)年に『啄木遺稿』(土岐善麿編・東雲堂書店)として刊行された。

 

「賢者は歴史に学ぶ」と言われる。過去は未来を映し出す鏡だ。「ふり返れば未来」という言葉もある。「時代閉塞の現状」から戦争の足音が幻聴のように聞こえてくるが、家族農業に携わり、SDGsを唱えてJAグループに結集する老若男女こそ、平和を守る旗幟(きし)を鮮明にすべきときではないか。

 

https://www.jacom.or.jp/noukyo/closeup/2023/230125-64262.php

頑張れJAの若者!

 

戦争の足音が聞こえてくる

「時代閉塞の現状」から

 平和を守る旗幟鮮明に

2023年1月20日 (金)

東直子・「現代短歌はこんなにおもしろい」に参加した。

日比谷図書館の日比谷カレッジ

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 東さんは専業主婦としてご自分の2人の子育て中に雑誌に投稿したことから短歌を始めた経験から話を始められた。

 

短歌の紹介は若い歌人を中心に小野秀樹や寺山修司の歌も含めて影響受けた歌やエピソードからの短歌や言葉の使い方の妙の歌などを紹介された。

 

 短歌を作り始めの方の質問が多く出された。きっと今日の会から新しい歌人が登場することだろう。

 

 東さんは東京新聞はじめいくつかの短歌欄の選者をやられている。質問にも出たが選歌の基準についてこう別のインタビューで言われている。

 

「その表現がありきたりで見たことがあるようなものだったら選びませんね。やはり作者独自の発見であるとか心の揺れというものが表現できているかが大切だと思います。最終的に、言葉が綺麗だとか技巧よりも、その人らしさが表現されている作品を私は選んでいるつもりです。」

 

東直子さんインタビュー

https://bookshorts.jp/higashinaoko/

 

私は社会詠がメインなのでジャンルが少し違うが基本的に同感です。

ありきたりの短歌をいくら作っても仕方がないと思う。

そしてその歌を通じてその人の人生の背景が分かるような歌がいいと思う。

 

勝った本「短歌の時間」のサインもして頂きながら「毎日短歌八首を五年間作ってます」というと「凄いですね」と言われた。

 

仕事帰りにこういう機会が持てて良かった。

 

参考

東直子の短歌の時間

武田砂鉄 × 東直子【アシタノカレッジ】

https://youtu.be/qwOF9l0IYl8

@YouTubeより

対談は20分位からです。

直久

東直子と小林久美子の短歌等のページ

https://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/

東直子最新情報

https://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/n_saishinjouhou.html

2023年1月16日 (月)

山本幡男の俳句論を短歌論に変えてみた

先に紹介した「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の主人公の先に紹介した「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の主人公の山本幡男の俳句論を短歌論に置き換えてみました。

ーー

短歌は俳句と並んで世界で最も短い詩形である。

短歌は四季がある国の詩形である。

短歌の上達のためには自分磨きを

1、内容の深さを

2、映像の鮮やかさを

3、余韻を

4、思想の高さを

5、視覚的音感的魅了のあるものを

6、美と真実のこもったものを

 

良い短歌とは何か

1、一度口ずさみもう一度口ずさみたくなるもの

2、記憶に残る口承性のあるもの

3、いつ思い起こしても楽しめるもの

4、後味の素晴らしく良いもの

5、事実より真実へ迫るもの

6、現象より本質へ迫るもの

ーー

結局季語の使用以外は殆ど同じになりました。

短歌と俳句は私にとっては同じものです。少なくとも兄弟です。

仲の悪い遠い親戚ではありません。

ーー

参考

山本幡男の俳句論

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-45cdbf.html

2023年1月12日 (木)

哀悼!林直道さん

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林直道さんが99歳で亡くなった。

マルクス主義経済学の権威だが小倉百人一首の研究家でもある。

名古屋にいる頃の思い出を高槻にいる頃に書いた私の昔の記事から一部紹介し林直道さんを思い出すよすがとします。

ちょっと長いです。

ーー

『小倉百人一首』は隠岐へ流され非業の死を遂げた後鳥羽上皇に捧げた歌集だという説をやや長いですが紹介します。
まずこれから

昔テレビムックという番組でこの内容を観て興奮して鳥肌が立ったことがあります。
その時はなかった小倉百人一首のただ一つの組み合わせから真ん中にあるのが後鳥羽院の眠る水無瀬神宮です。
世間で言われているように定家は後鳥羽院を裏切ってなかったというのです。
これを観たときにはこの近くに住んでいました。
この組み合わせを考えたのは資本論の分析の手法を使った経済学者の林直道さんです。

ーー

 

百人一首とは、_百人の歌人の歌を、一人一首ずつ選んだ撰集で、後の各種百人一首のお手本的存在。__天智天皇から順徳院まで百人の歌人の歌を一首ずつ選び、百枚の色紙に揮毫し,小倉山荘の襖に_張り付けたことから、山荘の名をとって『小倉百人一首』と呼ばれる様になった。__ただ、この『百人一首』は秀歌撰というものの、果たして歌人にしろ、その歌にしろ『古今集』_から『新古今集』の頃までの選び抜かれた代表歌百撰といえるかどうか昔から疑問のあるところ。__しかしその事は定家自身先刻承知の様で「百人一首の中には歌の名人と誇り高い人の_秀逸な歌といわれているものが、ほとんど漏れている。選択の基準は自らの心中にあり、__その事をとやかく言っても、それは意味のない事だろう」といった内容の事を述べている。_裏返せば、この撰集は定家のある特殊な意図の下に編纂されていた、という事が__大阪市立大学の経済学博士 直道教授 の発表した著書「百人一首の秘密_驚異の歌織物」の_中で解き明かされている。大変興味あるものなので、百人一首の日に因んで紹介したい; __百人一首の百首の歌を、縦十種・横十種の正方形のます目の中にある特殊な並べ方をすると、上下左右隣り合う歌同士が「合わせ言葉」によってぴったりと一致する。そして、その合わせ言葉を絵に置き換えていくと、そこには秘められた『水無瀬絵図』が現れるという。水無瀬は京都の西南、長岡京の南に位置し都にほど近い景勝の地で、後鳥羽上皇が水無瀬離宮を建てた地でもある。承久の変が挫折し、後鳥羽院が隠岐に流されて水無瀬離宮は荒廃していった。定家は自分を引き立ててくれた恩人としての後鳥羽院に、密かに心をこめて百人一首を選定したのだろうというのである。__承久の乱後の京に和歌の最高権威として君臨した定家は、後鳥羽院が下命した『新古今和歌集』に続く、第九番目の勅撰集撰進を依頼されるが、鎌倉幕府をはばかった前関白・藤原道家の意向で、その勅撰集『新勅撰和歌集』から後鳥羽院の歌など百首強の歌を削除しなくてはならなかった。__その無念の思いを、碁盤目に並べた百首によって浮かび上がってくる水無瀬離宮の絵図に_託したのだろう。定家は全知全能を駆使してこの条件に合う歌百首を集めたらしいのである。__以下参考の長岡京・小倉山荘の水無瀬絵図にポインタを移動するとモノトーンの「合わせ言葉」が浮かび上がり、水無瀬絵図と「合わせ言葉」がどのようになっているのかが、よくわかる。__(水無瀬図会の横十行は大丈夫なのですが、縦は左側の三行が抜けています。まあ、しかし見事に_合わせ言葉になって、各升目が、上下左右に繋がっている事が分かりますね)
新・こんなところにこんなものが!
百人一首の日
http://blogs.yahoo.co.jp/gulliverbros/59548301.html
より

ーー

 

「あれほど仲が良かった自分からの連絡がない事を、上皇はどのように思っているのだろう」という不安にかられながらも、やはり定家も現在の地位を失いたくはありません。
やがて、怨みを抱いて隠岐に幽閉されている上皇の「生霊」の話や、怪奇現象の話が噂されるようになります(ブログ:713日参照)。
そして、ついにある日、定家のもとへ「後鳥羽上皇が亡くなった」というニュースが飛び込んで来るのです。
その話を聞いた定家は、意を決したようにスクッと立ち上がり、なにも言わず山荘にこもったのです。
何週間かして、人前に現れた彼の手には、一首ずつ和歌が書かれた百枚の色紙があった・・・それが、『小倉百人一首』だったというのです。
・・・・・・・・
ですから、この話でいくと、『小倉百人一首』は秀歌を集めた歌集ではなく、隠岐へ流され非業の死を遂げた後鳥羽上皇に捧げた歌集だったという事になります。
もちろん、これは仮説です。

今日は何の日?徒然日記
2007
527 ()

 

百人一首に隠された暗号
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/05/post_55f5.html

 

私の昔の記事

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-35bb.html

 

更に違うまとめ方をした文章があったので紹介します。

林さんはマルクス経済学者だ。社会生産物を生産手段生産部門

と消費資料生産部門とに分ける「再生産表」からの連想で、百首

を「景色の歌」54首と「情念の歌」27首に分ける方法を発見した

結果、全貌が明らかになった百人一首とは

 

 ①百首はタテ10首、ヨコ10首の方形の枠の中に、上下左右隣り

合う歌同士が何らかの共通語で全部結ばれ、配列されているとい

う「歌織物」の構造を持っている。

 

 ②この歌織物は

 

 右から7列目をタテに走る月八景によって二分され、右側6列分

は、合わせ言葉の絵の具の代わりに、山紫水明、美しい日本の四

季の景観が豪華な柄模様になって描かれ、これに対し、左3列は

恋、恨み、嘆きという情念が織り込まれている。

 

 3しかも、この絵は新古今歌壇の故郷、水無瀬の里のリアルな

描写である。

 

 ④またこの歌織物の四隅に、四人の主要人物、後鳥羽院、順徳院

式子内親王、さらに定家自身が配置され、3人の「帰って来ぬ人」

に対し、「来ぬ人を待って身も焦がれつつ」と定家が呼びかけると

いう構図になっている。

 

 ⑤で、歌織物の右半分には後鳥羽院の「見渡せば山もと霞む水無

瀬川」の歌、左半分には式子内親王の「軒端の梅よわrを忘るな」

の歌が合わせ言葉文字鎖の技法で封じ込まれ、さらに定家の返歌の

体裁で「裏の苫屋の秋の夕暮れ」と「匂ふ軒端の春の夜の月」と下

の句が封じ込まれている。

 

 とまあ、現実、ややこしい。でこの「解読」から何を引き出した

のか?であるが、定家は「紅旗征戎吾事にあらず」、吾事とは歌の

道、と承久の変で敗れて流された後鳥羽院、順徳院に背を向けた。

 

 しかし鎌倉=紅旗征戎は定家の吾事に介入し、新勅撰和歌集から

後鳥羽院、順徳院らの秀句を削除するよう要求してきた。そこで

定家は幕府への反逆者の二人の帝の政治的恨み歌で百人一首の掉尾

を飾ることで自己の主体性を守り抜いた、となる。

 

 百人一首は反幕府の非合法の政治文書、「青白きインテリの定家

のせめてもの抵抗精神の現れ」となるという。

 

https://tsubuyaki3578.com/article/493897978.html

 

ーー

以上です。

林直道さんのご冥福をお祈りします。

2022年9月 6日 (火)

「卒寿をこえて」(寺島萬利里子歌集)を読んだ

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卒寿をこえて」(寺島萬利里子歌集)を読んだ

著者は今年11月に96歳を迎える。

既に他界した私の母より2歳年上となる。

寺島さんの人生に母の人生をなぞり重ねて思いながらこの歌集を読んだ。

境遇は違えども母もコスモスで短歌をやっていたので今も元気であればこういう歌を作ったのだろうと思った。

この歌集のあとがきの前に「水野昌雄先生を偲んで」という一文があった。

この歌集は鳩ヶ谷短歌愛会でお世話になった水野さんの2020年末の「そろそろまとめよう」という言葉に応えて作られている。今年の5月の命日には霊前に捧げられたことでしょう。

 

私も水野さんにはお世話になっています。

朝日新聞を見て参加した1975年の労音会館で行われた啄木祭に参加したあと、「お茶でも飲みませんか」と声を変えられて喫茶店で話をした。

コスモス短歌会に入っていることと碓田のぼるさんに青年誌上でお世話になっていたのでその話をしました。その後一冊の本が送られてきました。「短歌の旅と風土」という本で碓田のぼる・水野昌雄共著とあった。水野さんのことは全く知らなかったのでそういう人なのだと驚いた。その本の中に「是非新日本歌人の会員になって歌を出して下さい」というしおりが挟まれていた。

早速会員になり、何年かコスモスと新日本歌人の両方に歌を投稿していたがその後は新日本歌人のみとなり現在に続いている。

水野さんのおかげで74年間新日本歌人の会員であることが続いている。

新日本歌人我孫子支部に来て頂いて話をして頂いたり、歌人九条の会の講演を聞いたり、三郷啄木祭で「子規と啄木」の話をして頂いたりし、いずれも映像が残っている。

 

水野さんの思い出話ばかりになりました。

「卒寿をこえて」の中で付箋を付けた十首を紹介して終わります。

 先短き老なれば今こそ叫ぶべし命の限り戦争反対

 一人では出来ぬ経験さまざまにこの会に来て知りしこと多し(鳩ヶ谷短歌愛会)

大正の終りに生まれ昭和・平成・令和へと四元号を我は生きつぐ

定年後写真・短歌と学び来ていつ終わるとも人生悔いなし

 歳ふれば劣化してゆくさだめにてふさわしい生き方するがよろしき

 身の老いを嘆くとき思う八坂さんの「平和を守る一票がある」の歌

十一月二十四日は九十四歳の誕生日なり激動の昭和を生ききてわれあり

いつ死すも悔いなき生と思いおりその時々に生きがいがある

夫逝きすでに八年ほほえめる写真は常に我を見守る

以上です。九十五歳でこういう歌を作りたいものだと思います。大津留公彦

2022年7月26日 (火)

長友くに第七歌集「碧玉」を読んで

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長友くに第七歌集「碧玉」を読んで 2022年7月25日 大津留公彦

 ネット上の縁あって長友くにさんの第七歌集「碧玉」を読んだ。

著者は「歌林の会」所属の歌人で亡くなった岩田正に指導を受け、今は馬場あき子の指導を受けておられる。

一読して、まず表記の仕方に驚いた。

私と同じ三行書きだがその表記の仕方が斬新だ。

三行の行頭が揃っていないのは勿論だが歌によっては大きく上に行ったり下に行ったりしている。ところどころ出てくる文章も上に行ったり下に行ったり自由自在だ。

啄木が三行書きの歌で句読点を付けたり、感嘆符を付けたりして登場した時に歌壇は度胆を抜かれたと思う。その流れを汲む戦前・戦後の社会派の歌群も同様に自由な表記をしたが歌壇の主流とはならなかった。我が「新日本歌人」に残る「行分け」にその名残を残しているがこれほどの奔放さは見られない。私も少しこの奔放さを見習おうと思います。

送られて来たこの歌集にはこういう文章と共に「憲法手帳」が挟まっていた。

「変えられてしまってから、「こんなにいい憲法だったのに」と悔やんでも遅すぎます。日本人は再びこのような憲法を手にすることはできないでしょう。」

下田にお住まいの長友さんは今年の5月3日の有明の憲法集会に来られてこの「憲法手帳」を800冊普及したそうです。驚くばかりの行動力です。

私もこの「憲法手帳」を大事に持ち歩きたいと思います。

印象的な十首の歌を表記の通りに何首か紹介し(コメント)を付けたいと思います。

p13 貧富の差

      広げて貧しき若者を

    戦地に送る筋書きが見ゆ

(為政者にはそういう筋書きが確かにあるのだと思います。安保法制以降自衛隊に応募する若者は激減していますから)

p14 倒れても倒れても立てる旗印

    「護憲」の旗手を

        継ぐしものやある

(憲法を歌った短歌として後世に残る歌だと思います。)

p20 「賑恤(しんじゅつ)」を病・老・廃疾に加えよと

        『続日本紀』は伝う

           古代の日本

(「賑恤(しんじゅつ)」とは困窮した人、老病者、被災者などに救済の手を差し伸べることと注があった。)

p39 寄る辺なく漂う舟のごとき身を

      つなぐ

         はかなき電波の糸は

( 長友さんは毎週「ピースアップ九条可視化の会」でzoom会議に参加しておられる。) 

p58 残しおくは

      わずかな本で足りるべし 

        付箋をはがし思い出閉ざす

(私も読んだ本には付箋を付けているのですぐわかる。その付箋を剥がすということは読んだ時の思いが消えてしまうので尋常ならざる思いでしょう。)

p61   人間を機械と扱う

     特攻に

        滅ぼされゆく若者六千

(群読劇「月光の夏」を見てとある。特攻で若者六千人が死んだことをこの歌で残そう)

p107 無知無能な政権に支え疲れたか

        ムーンショットは

      心の逃げ場

(ムーンショット計画とは、内閣府が2020年に公表した計画で「2050年までに人が、身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する」ものだという。自分の分身であるアバターが3D空間を動き回るというものですが。長友さんの興味の多様さに驚くばかりです。)

p162  連れ合いは検査陰性

      はからずも

      二人の距離が明るみに出る

(これには我が家をかえりみて、思わず笑ってしまった。幸い我が家はどちらも陽性になった事はないが。コロナ禍ならではの笑いを誘う歌として残るか)

p174 会場のはずれで配る

        「憲法手帳」

     読んだか聞けば「いいえ」が多し

(今年の有明の憲法集会の歌。私も大学で憲法の授業は受けたが全文読んだか自信がない。)

p177  沈黙の

      「戦後」を生きし元兵士

           その沈黙が「戦争」拒む

(ロシアのウクライナ侵略の今詠まれるべき「戦後」の歌です。)

 

こうして選んでみると度胆を抜かれる表記は少ないかもしれませんが全ての表記が違っており歌集として続けて読むとかなりの驚きです。

この歌集の一読をお勧めします。

2021年7月 7日 (水)

(再掲)サラダ記念日はなぜ7月6日?

(再掲)サラダ記念日はなぜ7月6日か

昨日はサラダ記念日でしたのでこの時期アクセスの多いこの記事を再掲します。

ーー

俵万智さんのこの歌について書きます。

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

たまたま七月六日のような感じがするが、この日は考えられた日だ。

 

7月7日の七夕の物語の日ではなくその一日前の日なのだ。

 

短歌をよむ (岩波新書)

 

にはこの歌の作成過程が書かれている。

 

最初は

 

1. カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日
次に
2.「カレー味がいいね」と君が言ったから今日はからあげ記念日とする
そして
3. 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

と変遷している。

 

実際の日付と料理メニューは、事実からは変更されている
七月六日という設定が巧みに考えられている。

 

何気なく作られたような万智ちゃんの歌には実は作歌の技術が散りばめられている。

 

万智ちゃんの「考える短歌」という本にはその奥義がある。
目次だけでもそのポイントがわかる。

[目次]

第1講 「も」があったら疑ってみよう; 第2講 句切れを入れてみよう、思いきって構造改革をしよう; 第3講 動詞が四つ以上あったら考えよう、体言止めは一つだけにしよう; 第4講 副詞には頼らないでおこう、数字を効果的に使おう; 第5講 比喩に統一感を持たせよう、現在形を活用しよう; 第6講 あいまいな「の」に気をつけよう、初句を印象的にしよう; 第7講 色彩をとりいれてみよう、固有名詞を活用しよう; 第8講 主観的な形容詞は避けよう、会話体を活用しよう


万智ちゃんのホームページである俵万智のチョコレートBOXの「万智の交遊録」の第20回の丸谷才一さんの項
七月六日とサラダ記念日についての記事がある。
Photo

松尾芭蕉の「文月や六日も常の夜には似ず」という句(明日が七夕だと思うと、六日の今晩もいつもと趣が異なり何となくしっとりした感じがすることだ)を引用して、「七月六日はサラダ記念日」という歌は、この句を踏まえていてなかなかよろしい、と書かれていたようです。

万智ちゃんはこの句を知らなかったようですが七月六日を選んだ理由は、まさに芭蕉と同じ気分だったようだ。

「恋人同士の記念日に七夕というのでは、芸がない。けれど前日というのなら、その香りを分けてもらえる程度で、グッドなんじゃないかと考えた」
そうです。

また、この歌は、小田島雄志先生からは「シェイクスピアをふまえていて、なかなかよろしい」と褒められたこともあるそうです。

これも万智ちゃんは知らなかったそうですが、シェイクスピアの中に「我が青春の日々よ」といった意味で「salad days」という表現があるらしいのです。

これは アントニーとクレオパトラ にあるこの台詞のようです。

▪ My salad days,
When I was green in judgment
ありゃわしの、まだ分別の青かった生葉の頃ぢゃ(クレオパトラ、第1幕第5場)

Maruyatalk

ちなみにこの交友録は現在40人が登場しているがなかなか面白いです。
この40人です。
第40回=中西進さん
第39回=荒木とよひささん
特別編 =安原顕さん
第38回=竹内義和さん
第37回=鹿島茂さん
第36回=立松和平さん
第35回=一条ゆかりさん
第34回=柳美里さん
第33回=東儀秀樹さん
第32回=山本容子さん
第31回=小泉純一郎さん
第30回=福島敦子さん
第29回=加賀美幸子さん
第28回=安野光雅さん
第27回=江國香織さん
第26回=松尾スズキさん
第25回=永作博美さん
第24回=田崎真也さん
第23回=ドリアン・T・助川さん
第22回=林真理子さん
第21回=鷺沢萠さん
第20回=丸谷才一さん
第19回=北杜夫さん
第18回=星野富弘さん
第17回=平地勲さん
第16回=南こうせつさん
第15回=岩城宏之さん
第14回=野田秀樹さん
第13回=鴻上尚史さん
第12回=吉永小百合さん
第11回=森啓次郎さん
第10回=黛まどかさん
第9回=小林恭二さん
第8回=松本侑子さん
第7回=辛島美登里さん
第6回=稲越功一さん
第5回=森雪之丞さん
第4回=新井満さん
第3回=岡本真夜さん
第2回=椎名桔平さん
第1回=岡部まりさん リンク・引用について

 

2021年5月26日 (水)

歌人の水野昌雄さんがお亡くなりになりました。

水野昌雄さんがお亡くなりになりました。https://mainichi.jp/articles/20210524/ddl/k11/040/095000c

驚きました。

入院されたとは聞いてましたが事情が分からないままでした。

水野昌雄さんがこの世から居なくなったのというのはまだ信じられませんが実に残念でなりません。

思い起こせば46年前の1975年の朝日新聞に広告のあった啄木祭(確か当時の労音会館)に参加し声をかけられ喫茶店で話をしその後送られたきた「短歌の旅と風土」(水野昌雄・碓田のぼる共著)という本に新日本歌人に入るようにとのしおりが入っていたのが私が新日本歌人に入会するきっかけでした。

昨日通夜が、今日告別式が行われましたが私は仕事で参列できませんでした。

水野昌雄先生のご冥福をお祈りいたします。

 

恩のある

うたびとがまた亡くなりぬ

我が道決めし嗚呼水野昌雄 公彦

 

合掌!

大津留公彦

 

2013年湖畔短歌会

20149条歌人の会

2018年三郷啄木祭

での記事と映像が残っていましたので紹介します。

 

2013329 ()

「水野昌雄さんと語ろう会」が終わった(湖畔短歌会)

 

水野昌雄さんのリアリズムに対する熱い信念に心撃たれました。

評論についてのお話をお願いしましたが時評についての話になり「書きたくならないのが不思議」と言われました。

歌壇で新日本歌人の事が批判されているのにそれへの反論が少ないのが残念と言われました。

歌壇は新日本歌人誌を見ているとの事でした。

歌論への闘志が湧いて来ました。

そもそも私を新日本歌人に誘って頂いた人ですから今後とも宜しくご指導願いたいと思います。

中継した今夜の動画はブツ切れですがここで見れます。

(スマートフォンの回線ではなかなか厳しかった)

http://www.ustream.tv/user/ootsuru

今日水野さんにお渡しした現代短歌研究会の私の記事はここにあります。

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/cat21945626/index.html

以下会の案内です。

水野昌雄さんと語ろう会

湖畔短歌会の二年間に及ぶ連続学習、「続・歴史の中の短歌」と「続・続・歴史の中の短歌」。

真っ当な短歌の歴史を学び、同時に短歌の評論の持つ意味合いについても深く考えさせられました。

この学習のまとめとして作者の水野昌雄さんをお招きして、語る会を企画しました。

短歌の実作はもとより、短歌評論への挑戦へと私たちの創作意欲はさらに膨らむことでしょう。

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-42e9.html

 

②佐々木妙ニについて

(2014/09/26  9条歌人の会にて)

 

水野昌雄氏講演「佐々木妙二について」

九条歌人の会の短歌サロンで佐々木妙二についての水野昌雄さんのお話を聞いたのでメモしました、

映像もあります。

 

1.佐々木妙二の息子の佐々木潤之助さんの東大での講演から。

 

佐々木妙二は高校卒業後最初に国学院大学に行っている。その後小樽商科大学に行った。

同級生の伊藤整の「若き詩人たちの肖像」 に「いつも眠そうな、あたりに無関心な顔をして、一目見て、「文学」というものに取りつかれていると私に分かった佐々木重臣」として登場する。一年上の小林多喜二は「不在地主」を書いた頃に佐々木を訪ねて来たことがある。

民衆とは何か 「戦前に民衆に逆らったのは左翼である。」という論があるように民衆の定義が曖昧になっている。

「みんながそうだったので斎藤茂吉だけが悪いのではない」という戦争責任を曖昧にしている短歌論が出て来ている。

潤之助は民衆のエネルギーを否定しているとそれらの論者を批判している。

 

2.略年譜

 

1923 秋田で村木清一郎と五行律短歌誌「韻律の国」発行

(村木清一郎は「訳万葉集」を著し、4500首を現代語訳した。)

1929 大塚金之助の「まるめら」に参加 (「まるめら」はかりんを意味する言葉)

1931軍事教練反対と「戦旗」を読んでいた事で教員を追放され山谷の夜間補習学校の教員となる。

1936 東京医専卒業後、東京都立大久保病院の産婦人科に勤める。

1940 5月「潮」創刊 8月廃刊

1941「新胎」創刊

1943「まるめら」廃刊

1946 人民短歌創刊 新日本歌人協会の創立に参加 常幹 選者

1947 新しい短歌のつくりかた(中野菊夫と共著)新しい短歌入門(渡辺順三と

1955 短歌基準律論を主張

1962 自宅の一部を新日本歌人協会の事務所として提供

1972 渡辺順三の死去の後新日本歌人協会代表幹事となる

1982 脳梗塞で倒れ半身不随となる

1997 熱海温泉病院にて93歳で没

 

3.その他

 

笹塚の佐々木医院が新日本歌人の事務所だったが産婦人科の医務室を通って行くのが恥かしかった。

新日本歌人誌は赤字だったので佐々木さんは毎月五万円位出していた。「新日本歌人」が発行出来たのは佐々木さんのお陰。

熱海の温泉病院に見舞いに行った時に文字盤で一文字づつ「あ・と・を・た・の・む」と書かれた。

個人的には私的な事(離婚・再婚)で非難された事もあったが悔いのない生涯を過ごされたと思う。

 

参加者から

 

佐々木さんを偲ぶ会は盛大だったがその会で佐々木潤之助さんは絶句した。多分お母さんのことを思ってだと思う。

蒔田さくらこさんのお父さんは小樽商工で佐々木さんを教えた。

森川さんが「今度病院に見舞いに行ったら違う女が付いていた。」と言っていた。

新短歌人連盟副委員長だったので真鶴には毎年桜の時期に見舞いに行っていた。

教育会館で夫婦の出版記念会をやった。

宮崎信義が偶然京都で会ったが違う女の人と一緒だったので知らん顔をしたと言っていた。

直腸癌と分かって27年も闘病生活をやられたのは凄い。

 

以下映像です。

1.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103570527

2.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103576789

3.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103583441

 

以上です。

 

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-ab63.html

 

2018三郷啄木祭が終わりました

第二回三郷啄木祭は以下の二本立てでした。

講談 「足尾鉱毒事件と石川啄木」 甲斐淳二

講演 現代 水野昌雄 現代短歌の幕開け 「子規と啄木と現代」-そのリアリズムについて-

アンケートによるとどちらも評判は良かったようです。

2018三郷啄木祭のまとめ

 

1 数字的分析

今回参加54 前回も参加した人は16人なので7割は初参加

神奈川・茨城からも参加

甲斐さんの関係で3名参加

 

2 アンケートから(70代中心)

講談の評判が良かった

水野さんの講演は資料が探しにくかった

「言葉のリアリズム」についてのお話が印象に残りました。

「リアリズム」が分かりませんでした

皆さんの感想が良かった

 

3 その他大津留感想

アンケートは10枚だったが呼びかければもっと集まったでしょう

著名な啄木研究家である大室精一さんも参加

717短歌俳句勉強会への参加を検討するという人が2人いた

「短詩形文学」での連載記事にての紹介の可能性あり

「新日本歌人」には要約を掲載予定

4   来年予告

来年は啄木の命日である4月13日に第三回三郷啄木祭を以下の内容で行う予定です。

講演 「啄木と雨情」 元新日本歌人代表幹事 奈良達雄さん

    講談 「啄木と大逆事件」と「西行の鼓が滝」 甲斐淳二さん

以下で今日の映像がご覧頂けます。

かなりぶつ切れですが。。

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456963342 2018三郷啄木祭1(講談1)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456968179 2018三郷啄木祭2(講談2)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456973459 2018三郷啄木祭3(講談3)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456977410 2018三郷啄木祭4(水野講演1)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456983116 2018三郷啄木祭5(水野講演2)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456989666 2018三郷啄木祭6(水野講演3)

https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/4569963172018 三郷啄木祭7(Q&A)

 

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