水野昌雄さんがお亡くなりになりました。https://mainichi.jp/articles/20210524/ddl/k11/040/095000c
驚きました。
入院されたとは聞いてましたが事情が分からないままでした。
水野昌雄さんがこの世から居なくなったのというのはまだ信じられませんが実に残念でなりません。
思い起こせば46年前の1975年の朝日新聞に広告のあった啄木祭(確か当時の労音会館)に参加し声をかけられ喫茶店で話をしその後送られたきた「短歌の旅と風土」(水野昌雄・碓田のぼる共著)という本に新日本歌人に入るようにとのしおりが入っていたのが私が新日本歌人に入会するきっかけでした。
昨日通夜が、今日告別式が行われましたが私は仕事で参列できませんでした。
水野昌雄先生のご冥福をお祈りいたします。
恩のある
うたびとがまた亡くなりぬ
我が道決めし嗚呼水野昌雄 公彦
合掌!
大津留公彦
2013年湖畔短歌会
2014年9条歌人の会
2018年三郷啄木祭
での記事と映像が残っていましたので紹介します。
① 2013年3月29日 (金)
「水野昌雄さんと語ろう会」が終わった(湖畔短歌会)
水野昌雄さんのリアリズムに対する熱い信念に心撃たれました。
評論についてのお話をお願いしましたが時評についての話になり「書きたくならないのが不思議」と言われました。
歌壇で新日本歌人の事が批判されているのにそれへの反論が少ないのが残念と言われました。
歌壇は新日本歌人誌を見ているとの事でした。
歌論への闘志が湧いて来ました。
そもそも私を新日本歌人に誘って頂いた人ですから今後とも宜しくご指導願いたいと思います。
中継した今夜の動画はブツ切れですがここで見れます。
(スマートフォンの回線ではなかなか厳しかった)
http://www.ustream.tv/user/ootsuru
今日水野さんにお渡しした現代短歌研究会の私の記事はここにあります。
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/cat21945626/index.html
以下会の案内です。
水野昌雄さんと語ろう会
湖畔短歌会の二年間に及ぶ連続学習、「続・歴史の中の短歌」と「続・続・歴史の中の短歌」。
真っ当な短歌の歴史を学び、同時に短歌の評論の持つ意味合いについても深く考えさせられました。
この学習のまとめとして作者の水野昌雄さんをお招きして、語る会を企画しました。
短歌の実作はもとより、短歌評論への挑戦へと私たちの創作意欲はさらに膨らむことでしょう。
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-42e9.html
②佐々木妙ニについて
(2014/09/26 9条歌人の会にて)
水野昌雄氏講演「佐々木妙二について」
九条歌人の会の短歌サロンで佐々木妙二についての水野昌雄さんのお話を聞いたのでメモしました、
映像もあります。
1.佐々木妙二の息子の佐々木潤之助さんの東大での講演から。
佐々木妙二は高校卒業後最初に国学院大学に行っている。その後小樽商科大学に行った。
同級生の伊藤整の「若き詩人たちの肖像」 に「いつも眠そうな、あたりに無関心な顔をして、一目見て、「文学」というものに取りつかれていると私に分かった佐々木重臣」として登場する。一年上の小林多喜二は「不在地主」を書いた頃に佐々木を訪ねて来たことがある。
民衆とは何か 「戦前に民衆に逆らったのは左翼である。」という論があるように民衆の定義が曖昧になっている。
「みんながそうだったので斎藤茂吉だけが悪いのではない」という戦争責任を曖昧にしている短歌論が出て来ている。
潤之助は民衆のエネルギーを否定しているとそれらの論者を批判している。
2.略年譜
1923 秋田で村木清一郎と五行律短歌誌「韻律の国」発行
(村木清一郎は「訳万葉集」を著し、4500首を現代語訳した。)
1929 大塚金之助の「まるめら」に参加 (「まるめら」はかりんを意味する言葉)
1931軍事教練反対と「戦旗」を読んでいた事で教員を追放され山谷の夜間補習学校の教員となる。
1936 東京医専卒業後、東京都立大久保病院の産婦人科に勤める。
1940 5月「潮」創刊 8月廃刊
1941「新胎」創刊
1943「まるめら」廃刊
1946 人民短歌創刊 新日本歌人協会の創立に参加 常幹 選者
1947 新しい短歌のつくりかた(中野菊夫と共著)新しい短歌入門(渡辺順三と
1955 短歌基準律論を主張
1962 自宅の一部を新日本歌人協会の事務所として提供
1972 渡辺順三の死去の後新日本歌人協会代表幹事となる
1982 脳梗塞で倒れ半身不随となる
1997 熱海温泉病院にて93歳で没
3.その他
笹塚の佐々木医院が新日本歌人の事務所だったが産婦人科の医務室を通って行くのが恥かしかった。
新日本歌人誌は赤字だったので佐々木さんは毎月五万円位出していた。「新日本歌人」が発行出来たのは佐々木さんのお陰。
熱海の温泉病院に見舞いに行った時に文字盤で一文字づつ「あ・と・を・た・の・む」と書かれた。
個人的には私的な事(離婚・再婚)で非難された事もあったが悔いのない生涯を過ごされたと思う。
参加者から
佐々木さんを偲ぶ会は盛大だったがその会で佐々木潤之助さんは絶句した。多分お母さんのことを思ってだと思う。
蒔田さくらこさんのお父さんは小樽商工で佐々木さんを教えた。
森川さんが「今度病院に見舞いに行ったら違う女が付いていた。」と言っていた。
新短歌人連盟副委員長だったので真鶴には毎年桜の時期に見舞いに行っていた。
教育会館で夫婦の出版記念会をやった。
宮崎信義が偶然京都で会ったが違う女の人と一緒だったので知らん顔をしたと言っていた。
直腸癌と分かって27年も闘病生活をやられたのは凄い。
以下映像です。
1.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103570527
2.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103576789
3.http://twitcasting.tv/f:100001222398242/movie/103583441
以上です。
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-ab63.html
③ 2018三郷啄木祭が終わりました
第二回三郷啄木祭は以下の二本立てでした。
講談 「足尾鉱毒事件と石川啄木」 甲斐淳二
講演 現代 水野昌雄 現代短歌の幕開け 「子規と啄木と現代」-そのリアリズムについて-
アンケートによるとどちらも評判は良かったようです。
2018三郷啄木祭のまとめ
1 数字的分析
今回参加54人 前回も参加した人は16人なので7割は初参加
神奈川・茨城からも参加
甲斐さんの関係で3名参加
2 アンケートから(70代中心)
講談の評判が良かった
水野さんの講演は資料が探しにくかった
「言葉のリアリズム」についてのお話が印象に残りました。
「リアリズム」が分かりませんでした
皆さんの感想が良かった
3 その他大津留感想
アンケートは10枚だったが呼びかければもっと集まったでしょう
著名な啄木研究家である大室精一さんも参加
717短歌俳句勉強会への参加を検討するという人が2人いた
「短詩形文学」での連載記事にての紹介の可能性あり
「新日本歌人」には要約を掲載予定
4 来年予告
来年は啄木の命日である4月13日に第三回三郷啄木祭を以下の内容で行う予定です。
講演 「啄木と雨情」 元新日本歌人代表幹事 奈良達雄さん
講談 「啄木と大逆事件」と「西行の鼓が滝」 甲斐淳二さん
以下で今日の映像がご覧頂けます。
かなりぶつ切れですが。。
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456963342 2018三郷啄木祭1(講談1)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456968179 2018三郷啄木祭2(講談2)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456973459 2018三郷啄木祭3(講談3)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456977410 2018三郷啄木祭4(水野講演1)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456983116 2018三郷啄木祭5(水野講演2)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/456989666 2018三郷啄木祭6(水野講演3)
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/4569963172018 三郷啄木祭7(Q&A)
https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-ab63.html
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