大分に帰ってきました
息子の金曜日の夜の突然の「大分行くか?」の提案で息子の運転で土曜日の昼過ぎに三郷を出て病状の悪化した親父の入院する大分に向けて出発しました。
息子の自慢のMINIで快調に東名から初めて通る伊勢湾自動車道と第二名阪を通り雪で通行止めの阪神高速を尻目に夜の10時に妹の待つ福山の家に到着し歓待して貰いその夜は熟睡。
12日7時過ぎには久しぶりに会った妹の家族と別れを惜しみ自宅で取れたキウイを箱一杯もらって出発。
雪が降った跡はあったが雪は降ってなかった。
高速道路に乗る頃から雪が降りだしPAで休んで居る間に大雪になった。
10時過ぎ中国自動車道通行止めになり、廿日市ICで降りたら10台位が立ち往生しており我々も立ち往生しかかったのでノーマルタイヤのタイヤローテーションをガソリンスタンドでやって貰って温泉で天候回復を待ち待機するも通行止め区間は広がるばかりなので結局車で行くのは断念し私だけ広島から新幹線で大分に行く事にする。
無事夕方大分に着き親父のお世話になっているグループホームの看護士さんと副社長さんに迎えに来て貰い医師と面談。
今かかっている誤嚥性肺炎が1~2週間で状態が改善しなければ、胃瘻を作り、一日でも長く生きて貰おうということになりました。
(胃瘻を作りますか作りませんかという医者の端的な質問には驚いたが)
費用はそれ程かからないそうです。
グループホームの看護士さんと副社長さんにも同席し退院後はグループホームで最後まで面倒を見て呉れることになりました。
もしもの場合はグループホームで葬儀も手配して呉れるそうです。
親戚二軒に行き380円! の天然温泉に行きグループホーム副社長さんお勧めの中国人がやている中華料理を食う。
今朝、同じグループホームにお世話になっているお袋と朝飯食う。
(別府の親父の家の宗派聞くも会話にならず)
(娘の子どもの写真にすごく喜んでいた)
グループホーム経営者さんと話する。
(詳細は別記事予定)
ブログ100万アクセスおめでとうと言われる。
(大分県の人口が12万人だそうで次の目標はこれか?)
葬儀で頼んでいる坊さんは狭間選出の共産党由布市会議員で親父にもしものことがあれば彼に頼む由。
その後、不動産屋に行き13時14分に特急ソニックで大分発14時57分のぞみで小倉発
(新幹線の安売り切符は大分では売っていませんでした)
東京は20時頃着でした。
(結局大分まで行けなかった息子は大阪辺りで泊まり、帰りは海老名で事故渋滞がありやや遅れて東京着。2000km以上走った由)
大分土産に買って来たお菓子「ざびえる」は昔より甘みが無くなったとは妻の評
帰りの電車の中で作った俳句九句です。
父と会う母と会う日の余寒かな
元気な叔母の饒舌温くき炬燵越し
姉弟かと言われる雪の朝なりし
春の雪動画とならぬ親父の寝顔
お袋の動画を残す雪の朝
団子汁と唐揚げのある小春かな
菜の花忌微かに父は頷きぬ
別府湾春の光に輝けど
ちちははと会いし如月の有り難し
以上です。
イヤー車は雪に弱い事を実感した旅でした。
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