内田樹の研究室の「さよならマルクス」
内田樹の研究室の「さよならマルクス」というエントリに知的刺激を受けた。
24日に出た教育再生会議の第一次答申にマルクスの労働者分析をを想起している。
この答申にはマルクスもさぞ驚いているだろう。
この答申は政府の目指す改悪教育貴基本法の具体化の第一歩であり、体罰の容認であり、「ゆとり」教育の否定であり、競争と管理の教育体制を作る方向がこの答申の基本方向でありこれに基づく法案には全て反対である。
以下引用です。
これまで学校には世間には通用しない「学校だけのルール」があった。
世間は弱肉強食・競争原理のガチンコ・ルールで運営されている(はずである)のに、学校はそうなっていない。
そういうローカル・ルールはなくして、グローバル・スタンダードでいこうじゃないか、ということである。
どこかで聴いたような話である。
そう、これはあのなつかしい「小泉構造改革」「グローバリゼーション」の教育ヴァージョンである。
どうして、学校には学校のルールがあり、それは世間のルールと違っているのか、それには何らかの理由があるのではないか、という疑問は教育再生会議の委員諸君の頭にはどうやら浮かばなかったようである。
どうして公教育制度というものができたのか、それはほんの150年ほど前のことであるが、その理由をみなさんすっかりご失念のようである。
公教育制度ができたのは、弱肉強食・競争原理「世間のルール」から子どもを守るためである。
委員のみなさんは『資本論』という本を読んだことがおありだろうか。
19世紀なかばのイギリスの児童労働状況について、マルクスはあるレポートを引用している。
続きは「さよならマルクス」へ
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