カテゴリー「啄木」の記事

2023年12月19日 (火)

「こころ」のKは石川啄木(評論)

「こころ」のKは石川啄木

 

高橋源一郎さん「名作の読み方」 の講演動画を見た。

 夏目漱石の小説「こころ」の中にKという登場人物が出てくるがそれは石川啄木であると作家高橋源一郎は言う。

 この説が出て暫く経つが反応が全く無いという。

 前に妻に言われて読んだ「日本文学盛衰史」の「what  is k?」と題した一章にも書かれていた。

 私は啄木愛好家の一人としてあらためて反応しておきたいと思います。

多分この推論は正しいと思います。

 

 漱石の「こころ」は大逆事件の三年後に出されている。この歴史的大事件の全貌を啄木と共に朝日新聞にいて知る立場にあった漱石が知らないはずがないし、文学者として痛痒を感じず、反応していないはずがないと思い高橋源一郎は探したが、それがここに行き着いた。

 

 当時漱石は朝日新聞の文芸欄の責任者であった。

啄木の最も評価されている評論「時代閉塞の現状」は大逆事件に反応して書かれたものであり、「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住折蘆の同欄投稿論文への批判として書かれている。

 こころに出てくるKの人物描写で「寺の小僧で養子に出され名前を変えた」というのは啄木しかない。

 ちなみに啄木の母カツの旧姓は工藤(K)であり啄木の産まれた時の名前は工藤一である。

 啄木が小学校2年生のとき僧侶であった啄木の父親は妻がいることを公にして、ここで初めて啄木も父親の「石川」という名字になりますがあくまでも戸籍上は養子というかたちです。

 さて「時代閉塞の現状」が朝日新聞文芸欄の論文への批判として書かれたのであれば当然その批判は文芸欄に載せられなければならないがこの論文が公表されたのは啄木の死後である。

 考えられるのは文芸欄の責任者であった漱石が啄木に大逆事件についての文章の執筆を依頼したがこの評論を読んで、権力の弾圧を考えて結局文芸欄に載せなかった可能性がある。

 漱石は「時代閉塞の現状」掲載キャンセルの代わりに啄木を朝日歌壇の選者にしたのかも知れない。時間的にはありうる話だ。

 

高橋源一郎は作家的推論で漱石と啄木の日記が欠けている時に二人は会っていたのではないかという。

そういう意味では漱石の「こころ」はKという人物を登場させての啄木への鎮魂歌であるかも知れない。

 

短歌

https://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2023/12/post-710dfb.html

 

参考

「人生に、文学を」オープン講座 in  神戸女学院大学 2017610日(土)第7講 高橋源一郎さん「名作の読み方」

https://youtu.be/w2e4XoP2rXI?si=m5jE6YzccViknKtt

 

NHK読むらじる

石川啄木の「絶望名言」前編

 

https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/zet20231023.html

 

「こころ」から何が見えて来るか

佐藤泰正

 

https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/1305/files/136641#:~:text=周知の通%20り啄木,篇を書いている%E3%80%82

 

時代閉塞の現状

(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)

石川啄木

https://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/814_20612.html

2023年11月26日 (日)

国際啄木学会前夜祭文学散歩

2023年11月26日(日)

国際啄木学会前夜祭文学散歩

 

三十人の

君の歌慕う人らと行く

 啄木史跡に空は晴れたり

Img_3829_20231126205701

茗荷谷の

啄木終焉の地に寄りて

 写真に収まる世界の同志

Img_3830_20231126205801

なねやすで

その謂れ言うは難しい

 台湾からの客人に向け

 

喜之床の

新井床屋は健在なり

 旧宅は明治村に移りたれども

 

赤心館

見下ろす所に菊富士ホテル跡

 大杉栄や中條百合子も

Img_3839

本郷3丁目から

啄木旧宅巡る道

 喜之床、赤心館、大栄荘と

Img_3840

啄木が

一月住んだ村井方跡

 弥生2-15では特定出来ず

Img_3845_20231126210401

記念物

村井方跡には何もなし

 せめて案内板の設置を望む

Img_3847

 

2023年5月 8日 (月)

啄木祭と言う定型フォーマット

20230509()

B88d8fd3ae704046aad73e34764d4d56 96b3cccb5f784aa5b3dbee6957cbc322 A2f00241b79c4d3f9870183ff7ce7217 87e15b63a60b4428a556cfb7f5022d7c

 

啄木祭今年も終えぬ

配信は

 今年も上手く行えねども

 

二胡で聞く

草原情歌懐かしき母に繋がる

 思い出のあり

 

「メッセージ性も

イメージ性もある碓田短歌」

 田村広志はオットセイの歌に

 

高野公彦

「微視的観念の小世界」

 田村広志はしなやかに論ず

 

リアリズム短歌とは

一体何なのか

 微視と巨視と生活と思想か

 

啄木と

鶴彬と小林多喜二

 繋がりを突く小石雅夫は

 

啄木祭

三郷・東京・岐阜と続く

 111年前に思いもせぬか

 

啄木を

引き継ぐと言う決意のような

 啄木祭と言う定型フォーマット

 

2023年1月12日 (木)

啄木コンクール作品募集期限迫る!

啄木コンクール作品募集期限迫る!

131日まで短歌20首です。

奮ってご応募下さい。

詳細

http://www.shinnihonkajin.com/gyoji/2023年度-啄木コンクール作品募集/

2022年11月 8日 (火)

石川啄木と板谷波山

0f1e1dcaf638480ba92fbda76ca41c1b D3f00ef40a7c4b658a6596fcb19e9f22 52ecee61bcaf4dab8ade525c493662e0 495c05be0dee44d7a563a972c64a5093

昼休みに特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸 -近代陶芸の巨匠https://sen-oku.or.jp › program › 2022_itayahazanを見てきた。

 

陶芸家 板谷波山は、明治5年(1872)茨城県下館町(現・筑西市)に生まれ昭和38(1963)に亡くなっている。

(歌人石川啄木は明治19(1986)岩手県に生まれ明治45(2012)に亡くなっている)

15年波山が先輩だがほぼ同時代人ということになる。

 

展示会とWikipediaでこう言うことを知った。

 

1、波山の独自の創案によるものに葆光釉、葆光彩という釉薬を使った葆光彩磁という技法がある。

 

2、戦前戦後観音坐像が、戦争死没者の名前と波山の銘が記された桐箱に収められ計313名の遺族へ贈られた。

 

3、下館町の80歳以上すべての高齢者に自作の鳩杖が贈呈された。こちらも、絹の袋に入れてから桐箱へ収め、さらに熨斗付きの奉書紙で包み水引で結んだものを、自らが一軒一軒を回り、直接本人に手渡している。

自らの住まいと窯が東京大空襲で破壊され、故郷へ疎開していた間も含めて休むことなく、自らが80歳となる1951年(昭和26年)まで私費で毎年続けた

 

4、「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。

 

明治41(1908)年、洋行帰りの荻原碌山は第2回文部省美術展覧会に《坑夫》など3点を出した。石川啄木が会場でそのうちの1点《文覚》に目を見張り、日誌に〈この豪壮な筋肉の中には、文覚以上の力と血が充満してゐさうだ〉と記す。

波山の経歴には1941年の日本美術協会展における受賞が最初の受賞とあるのでこれは多分同じ展覧会と思われるので啄木は波山の作品も見ているものと思われる。

 

私も何度か行ったが、正岡子規と同じ田端の大龍寺https://ja.wikipedia.org/wiki/大龍寺_(東京都北区)に墓があり子規の墓は奥にある小さいものだが波山の墓は入口のすぐ近くに立派な墓がある。

 

板谷波山

筑波山の波山なり

下館の人を深く愛して 公彦

 

啄木と

波山の繋がり夢想しつつ

葆光彩花瓶秋の日に見る 公彦

 

板谷波山の陶芸

20221218日まで

泉屋博古館

https://sen-oku.or.jp/program/2022_itayahazan/

参考

https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entry/2022/04/19/160445

2022年7月 5日 (火)

2022年啄木祭碓田のぼる講演全文

2022年啄木祭の碓田のぼるさんの講演録を新日本歌人7月号に掲載しました。

ホームページにも以下掲載しました。

https://www.shinnihonkajin.com/infonews/takuboku2022/

新日本歌人へは一部短縮されてますので私の文字起こしした全文をここに掲げます。

ーー

2022年啄木祭 碓田のぼる氏 講演「啄木と共に生きて」―あらためて知る啄木」

202217日に開かれた啄木祭碓田のぼる氏講演です。 

はじめに

レジュメの標題は「啄木と共に生きて」となっていて自分の事ばかりだけを語るようになっていますが、出だしは自分のことを語りそのあと今考えている事を喋ります。

1, 啄木との出会いー北海道の炭鉱長屋でー

小学校時代から家の中に啄木歌集やエッセイがあってそれを読んでいました。啄木との出会いと云えば出会いかもしれません。しかし私が本格的に啄木という人はどういう人なんだろうという風に思ったのは、そのあとです。敗戦直後に私は小学校を卒業して国鉄の経営する機関車などを作ったり修繕したりする鉄道工場に就職しました。

敗戦が17のときで、その頃は、朝鮮や中国から連れられてきた労働者が祖国に帰国しましので労働力不足になり機関車が止まるという国鉄当局が臨時的措置として国鉄の中から労働者を募集して炭鉱に石炭掘りに行かせる措置を取りました。当時私の頭の中は軍国少年でしたが、戦争が終わった年の1945年12月からか月ほど北海道に行った。朝鮮の人たちは強制連行で連れて来られたので、戦後自分らをいじめた職制を糾弾する集会などをやっていたようですその後誰も居なくなっていた。私が行った炭鉱は小さい炭鉱でした。炭鉱ではノルマがあって早く果たせば早く地上に上がれましたが車が石でいっぱいにならないと地上に上がれないというシステムでした。私たちの入った宿舎は朝鮮の人たちが使っていた宿舎で汚かった。だけは新しかったが周りの壁などは真っ黒でひどいものだった。真ん中にストーブがあって八畳くらいの部屋に、私は一番小さかったので壁を見ながら寝る位置にいました。壁に朝鮮語の落書きが沢山あり、ある時に日本語の小さい文字を見つけました。そこには啄木の次の二首が書かれていたのです

今日もまた胸に痛みあり。

死ぬならば、

ふるさとに行きて死なむと思ふ。

 

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつ秋風を聴く

2、 「二人の啄木」のことーそれは一人だった

最初の歌は抒情的で「悲しき玩具」にあります。もう一首の「地図の上」の歌は抒情的でなく私には不思議だった。この二つの歌が結びつかなかったのです。私には二人の啄木のように見えました。二首目は「一握の砂」には掲載されておらず啄木が亡くなってから出た全集に初めて登場します。その朝鮮の人はきっと知識階級で啄木全集を読んでいたのだろうと思いました

後に、小中学生向けの本を書いてくれと言うことで、出版社に旅館に閉じ込められ「二人の啄木」という本を書きましたが、これは炭鉱で出会った二つの歌、二人の啄木が一人になって行く事を書いたものです。この二の啄木が一人啄木になるというのが良く分かったの夜学に行っている時に教えに来た東大の研究生が私の疑問に答えてくれたからでした。それは啄木の若い時と成した時の歌の違いだと教えてくれました。それ私は納得しました。そしてそれ以後私にとっては一人の啄木となりました。

3、結局何をめざして来たかー啄木と社会主義―

啄木は何を目指して来たかが私の関心事項でした。いろんな説がありますが、社会主義の方向に接近して行った事は間違いないと思います明治の社会主義運動には直接行動派と議会政策派の二つの大きな流れがあって、幸徳秋の直接行動派は議会を否定しています片山潜の議会政策派議会を通して政策を実現して行こうとしていした啄木の書いている文章を読んでいます啄木は片山潜の思想に近づいていると感じます。一番大きい例としては、幸徳秋水たちは議会を否定したが片山潜たちは会を通して政策を実現しようとしていました

啄木は明治帝国議会に非常に関心を持っていたです。行き着く先はどこだろうというのが私の大きな関心でした。啄木の思想の変遷はジグザグな感じがしますが、筋を通して生きてきた感じがするです。日露戦争の頃の啄木は戦争好きの青年で、自分でも当時を反省して戦国民の一人だったなどと書いていますが、そういう明治のナショナリズムの影響をすごく浴びてました。

啄木の代わり目は一般的には直接行動派による「赤旗事件」であり、集会が警察に弾圧されて乱闘騒ぎになって多くの人が逮捕され、それがのちの大逆事件という大事件に繋がったと言われていますそこらあたりから啄木は変化していくと一般的には言われています。

私はその前に一つ大きい変わり目あると思います啄木が渋民小学校の教員をやめて、放浪するように函館に渡り代用教員を少しやっていた時、函館大火に会い、札幌に行き小樽に行きそして最後に釧路に行きます小樽に行くまでは典型的な明治のナショナリストでした。明治41年の小樽議会政策派の西川次郎の社会主義講演会に行きどうして困る人が増えるかがテーマの演説を聞き生活に身近な話として感じ「俺がいつも考えているような事だ」と言っていますその演説会を境に啄木の社会主義理解は、マイナスからプラス方向に変化していきますその意識が一番変わったのが釧路新聞に行って政治論説を書けるようになって書いたいくつかの重要な。それまでは新聞記者をやっていましたが三面記事的な記事しか書かされませんでし釧路に行って、実質的な編集長として、政治評論を書き始めます

この頃明治帝国議会で何が議論されいたかと言うと、日露戦争のあと日本はものすごい軍予算を議会に提案していました。それは膨大な軍事予算で陸軍の予算を二倍にするような案でした。それは、当時すでにあった消費税新しい砂糖消費税を作ったりして、国民に重税が押し付けられたもので、このこと問題となっていまし

結局この予算は議会を通過しますが、啄木は勝ったのは政府ではなく軍事費だ「予算通過と国民の覚悟」という論説を釧路新聞に書きました。小樽以前にはこの種の論説は無いので、これが啄木の社会主義理解プラスの方進みだ最初の転機ではないかといます小樽の社会主義演説会で啄木が変化して行ったかは研究者の間で殆ど語られていません

啄木の思想・生活にかかわる大きな事件は、妻の家出事件です。東京に出てきて、家族を呼び寄せ本郷三丁目の「喜の床」の二階で暮らし始めますが、妻の節子さんと啄木の母親は仲が悪く、明治42年10月家出事件が起こますこれは啄木に大きなショックを与えました

学校の恩師の助けなどを得て20日位で節子さんは帰って来る訳ですが、この家出事件は啄木に大きな思想的変化を与えました。家族に対する責任を感じると共に妻が家出をするというのは何が原因なのかを一生懸命考える訳です。妻と母親仲が悪いのも社会の仕組みや貧困の問題につながるとか、そこから全ての問題は社会が問題でありその背後にある国家というものに目を開きました。啄木はこの時期に「国家を発見した」と言われていますが、私もそうだと思います。

そのころから評論迫力があって深いものになってきます。そして「食うべき詩」という詩論を書きますが、観念ではなく、事実を具体的にくべきだと主張しています。日本の現代の事実を知る現代の日本人こそうした詩を書くべきだと書いています。

その翌年大逆事件が起きます大逆事件について啄木は詳細に調べています

死刑宣告者24名の内恩赦を受けなかった12名が死刑になりますそれは予定されていた行動だと当時から言われていました。在外の公館にはその情報があらかじめ届いていたと言われていす。

明治政府は社会と名の付く本を全部発禁処分にしました。十年前に出された本が発禁になり、「昆虫社会」の社会がけしからんと発禁処分になります啄木はそんな中で日本の支配体制はどんな特色を持っているか、どういう風にひどい状況かを考えます。朝日新聞の校正係で働いていましたから情報が入ってくる訳です。そして明治44年に啄木は友人への手紙で「社会主義宣言」をします

大逆事件の被告の中心は直接行動派でしたがこの事件以後、日本の社会主義運動は議会政策派担わざるを得なくなります。啄木はそういう中で社会主義を生活中心の思想として掴むようになったと思います。

啄木は若い時は、明治のナショナリズムの中にいたと言われていますが、私はどうもそう考えていいのかと疑問を持つようになりました。それはどういうものかと言いますと、渋民小学校で教員を一年やっていて、生徒と一緒に校長排斥ストライキなどをやって教員をやめる訳ですが、辞める直前に書いた林中書という評論の中こう書いています

「日本は今、立憲国である。東洋唯一の立憲国である。」「此立憲国の何の隅に、真に立憲的な社会があるか?真に立憲的な行動が、幾度吾人の眼前に演ぜられたか?非立憲的な事実のみが跋扈してはないか?(中略)

「民は依然として封建の民の如く、官力と金力とを個人の自由と権利の上置いて居る無知民衆ではないだろうか?」

これは憲法違反の安保法制などを考えると今の事を言われているような気がしますこれは啄木が社会主義思想に変わる前の事ですから、こういう考えがどうして、いつから持っていのかというのが私の問題意識です。啄木は詩人だから本来自由にあこがれるというのは分かりますがこれほどの考えはなぜ生まれたのでしょうか。立憲国という意識はどこからきたのでしょうか

立憲というのは憲法を中心にした国家体制でが、ヨーロッパなど先進国では皆憲法を持っている。一番大事なことは民の権利が保障されているかという事です。日本では明治22年に大日本帝国憲法が天皇から与えられたという形で作られましたが、民の権利を入れないと世界から認められないので、第二章に「臣民の権利と義務の項目を入れるわけで

憲法学者の樋口一さんは岩波新書の「自由と国家」の中で「4つの89」と言うことを書いてます。1789年はフランス革命、英国の憲法「権利章典」が1689年、1989年は明治憲法1989年はベルリンの壁の崩壊です。ここに明治憲法が入ったのは第二章の「臣民の権利・義務」があるからでしょ。岩波文庫の「人権宣言集」に紹介されていますが、この中には基本的人権である移転の自由・信書の秘密・言論著作の自由請願権等があります。自由民権運動などが明治憲法に反映していると言われていますが、明治憲法は天皇支配の国家の枠の中の権利であり基本的人権保障ではありませんでした

4、いま、気づいたことー啄木における「強権」

啄木が明治憲法に触れた文書は私の見るところ一つもありません立憲思想にこだわるのは明治憲法への批判を意識していたのではないでしょうか。大逆事件以降の啄木の発言は非常に慎重です裏側に明治憲法下では権利が守られてないと言っているのではないでしょう明治憲法は国民の権利も入れながらそれと、絶対主義的天皇制という二項対立イメージです。一方では国民の闘いを反映した国民の権利が含まれ、同時に皇国史観が貫いています。啄木は神武天皇からの歴史に基づく絶対主義的天皇制批判を直接言ってませんも騙しのような歴史を持っていると遠まわしに言っています

5、言葉は時代を背負っている

啄木の歌を作る時の啄木の構えの特徴はどうでしょう。時代の思想はその時代の言葉であらわされなければならないと言っています

啄木は大逆事件以前の日記の中にこう書いています。

時代の主張・感情・観念はその時代の言語によって表されなければならない」

また食うべき詩にはこう書いています。

(われわれの要求する詩は)「現在の日本に生き、生活し、現在の日本語を使い現在の日本を了解しているところの日本人によって歌われなければならない。」

大逆事件の直前の新聞に発表した文章の中に我々歌人に向けてとも読める次のような言葉を書いています。われわれの表現と言葉についてです。

深く強く痛切でなければならない

もう一つ言葉の問題に関して紹介します。

一握の砂は大逆事件(明治43年1月)に出されていますロマンティックな歌と我々は理解していますが、作った方はどういう意識で作ったのでしょうか。

啄木は大逆事件に書田園の思慕」という文章こう書いています

私は私の思慕を捨てたくはない。益々深くしたい。さうしてそれは、今日にあっては、單に私の感情に於いてではなく、権利に於いてである。

故郷を想う心は単に懐かしいということではなく権利の意識に於いてだと言っているのです。都会に出ざると得なかった労働者が故郷を思うのはそうさせられている力に対して物を言いたい、それが啄木の言う権利に於いてという意識ではないかと思うわけです。

   言葉についての啄木のいろんないというのは、啄木の歌を理解する上でも大事です。例えば啄木の「悲しき玩具」にこういう歌があります。

ひと晩に咲かせてみ

梅の鉢を火に焙りしが、

咲かざりしかな

この歌を多くの人はあまりいい歌ではないと評しています。

この歌は明治44年の1月大逆事件」で24名死刑判決のあったに作られています。自分の言葉は時代を背負っていると啄木は言うわけですから、そのことを考えればこの歌の意味は分かりやすいでしょう。

新しき明日の来るを信ずとい

自分の言葉に

嘘はなけれど――

の歌の傍線のためらいの解釈は嘆きの歌というのが多数派です絶望や自虐の歌ではなそれは次のように運動論の発展に繋がっていると思います

明治45年3日の日記は、東京市電の6000人の労働者のストライキが勝利したことにふれたものです。そこには、団結すれば勝つ・多数は力なりと書いているわけです。これ啄木の労働者の前進だと思います果てしなき議論ののち」の「墓碑銘」に一人の労働者が出てきますが、まだ労働者を階級的にはっきりとらえてはいない様な気がします。明治45年正月の東京市電のストで階級的な労働者に到達しているのではないでしょうか。以上です。(文字起こし 大津留公彦)

 

2022年5月 2日 (月)

2022啄木祭の動画をYouTubeにアップしました

2022啄木祭の動画をYouTubeにアップしました。

ここからいつでも見ることができます。

(ちょっと音が小さくてごめんなさい。)

https://youtu.be/ilJPC0qRtiw

2023啄木祭は頑張ります。

今年は啄木没後110年でした。

2022年3月16日 (水)

2022啄木祭ご案内

チラシ

ダウンロード - 2022e5b9b4e59584e69ca8e7a5ade38381e383a9e382b7.pdf

 

2022啄木祭を以下内容にて行います。

zoomでどなたでも自由にご視聴下さい。

 1)「オンライン啄木祭」(ZOOM利用)として実施する

 2)日時 417日(日)開始 午前10時、終了12

 3)会場 メイン(ホスト)会場 東京ボランティア市民活動センター・AB会議室 (使用料無料)

       (飯田橋セントラルプラザ10階、JR飯田橋駅西口を右、駅に隣接した20階建てのビル)

        メイン会場参加は30(事前予約制)

        ZOOM中継 100人迄 

        ミーテイングID924 6513214  パスコード:803142

 4)参加費 いずれも無料 

 5)内容 ①講演 「啄木と共に生きて」 碓田のぼる…メイン会場から講演

      ②2022年度啄木コンクール表彰 

以下に啄木祭と三郷啄木と講師の碓田のぼるさんの本の読書感想文を紹介しておきます。

啄木祭

2011年「啄木から受け継ぐもの」(2011啄木祭碓田のぼる講演録): 大津留公彦のブログ2 (cocolog-nifty.com)

三郷啄木祭
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/538130363
碓田のぼるさん関係の記事
以上です。

2021年4月13日 (火)

今日は石川啄木の109回目の命日です

今日は石川啄木の109回目の命日です。

臨終の場に居たのは若山牧水でした。

 

明治四十五年四月十三日、歌の友石川啄木が死去しました。

  牧水は前日雑誌のことで啄木を訪ずれました。

  啄木は病床に臥していて枕の許にあった小さな薬の箱を牧水に示して、「僕はこの薬を飲めば病気は治るのだが買う金がない

君貸してくれないか」と云います。

  牧水も金は持ちませんので友だちにたずね歩きましたが出来

 ませんでした。

  帰ってふと啄木の机の上を見ますと啄木の死後に出版された

 歌集 『悲しき玩具』 の原稿がありましたのでその原稿を

 東雲堂書店に持参して二十円を借りて啄木に与えました。

 啄木は涙を流して喜びました。

  牧水は啄木の気分もよいので下宿に帰ってやすみました。

  翌朝早く啄木の夫人から危篤だとの報せが来ました。

  牧水が急いで行きますと夫人が啄木の耳許に口をあて「牧水

 さんが見えましたよ、わかりませんか」と呼びつづけますと奇跡

 的にも眼を開いて牧水の顔を見てにっこり笑い、昨日の金の礼

 を云い薬を買って飲んだことや雑誌のことなど話していましたが

 再び危篤に陥りました。

  牧水はすぐ医師を迎えに走り、帰って啄木の枕許を見ますと

 啄木の長女の京子の姿がありません。

  牧水はさがしに外に出て桜の落花でままごとをしていた京子

 を抱いて啄木の枕許に連れて来た時はすでに息を引きとって

 いました。

そのときのことを詠んだ歌

 

  君が娘は 庭のかたへの 八重桜

 散りしを拾い うつつとも無し

 

  牧水は一日中独りで走り廻って啄木の葬式の準備をしました。

 夜の十時頃までは数人の通夜の客も居ましたが夜半を過ぎる

 頃になると啄木の枕許には啄木の父と牧水の二人でした。

  夫人は同じ胸部疾患が重いので隣室に伏していました。

明け方近くになると啄木の父と牧水は話すことも無くなりまし

た。

  この時、啄木の父は牧水に一筆書いた紙片をわたしました。

  牧水がそれを読みますと

 

 「母みまかりて中陰のうちにまたその子うせければ」

と題して

 

    親とりの ゆくえたづねて 子すゝめの

          死出の山路を いそぐなるらむ

 

 とありました。

  牧水はこれを読んて、子を思う親の愛情に堪え兼ねて

 悲しみの余り、その日の啄木の葬儀には参列することは

 出来ませんでした。

 

 

参考

「若山牧水」延岡顕彰会

歌の友 「石川 

image170.jpg

 啄木」 の死

 

http://www.kodawari.co.jp/bokusui/takubokunosi.html

2020年2月18日 (火)

第四回三郷啄木祭のご案内

4回三郷啄木祭

日時:2019年4月11日(土) 13:30-16:30

場所:三郷市文化会館中会議室収容人員74人

講演:碓田のぼる(元新日本歌人協会代表幹事・現全国幹事)(90分)

歌人 新日本歌人協会全国幹事。元代表幹事。民主主義文学会会員。国際啄木学会会員。『花どき』で第10回多喜二・百合子賞受賞。啄木関係著書多数 近著 評論『啄木断章』歌集「歴史」、碓田のぼる(うすだのぼる)1928年長野県生まれ。千葉県我孫子市在住 演題「『啄木断章』について」(1時間半+質疑15分)

講談:甲斐淳二 (講談師) 演題「西行の歌日記より~鼓が滝」(35分)

社会人講談師。神田香織クラブ所属、織淳。創作講談では

「田中正造伝」、言論の自由と平和の為に奮闘した明治の

ジャーナリストの物語「三面記事の由来」「平民新聞の誕生」等。古典は「西行」「花筏」等。大分県生まれ。柏市在住。

参加費:無料 資料代:500円

紙芝居:宇津木圭(三郷市内紙芝居グループあかとんぼ代表)

檻の中のライオン (25分)

挨拶:小石雅夫(新日本歌人代表幹事)

主催: 新日本歌人協会

ダウンロード - 2020e5b9b4e4b889e983b7e59584e69ca8e7a5ade38381e383a9e382b73defbc88e5868de799bae6b3a8e794a8efbc89.pdf

 

後援:国際啄木学会東京支部

実行委員(三郷早稲田)717短歌俳句勉強会メンバー

日時:2020411日(土)(啄木108回目の命日二日前)

13:3016:30

■会場 三郷市文化会館 中会議室

三郷市文化会館 〒341-0018 埼玉県三郷市早稲田5-4-1

  • 最寄駅は、JR武蔵野線三郷駅です
     東京駅からは武蔵野線で60分程。
     三郷駅北口から文化会館までは、徒歩で15分程度です。

参加費:無料 資料代:500

電子チケット http://misatotakubokusai2020.peatix.com

twicas生中継 http://twitcasting.tv/kimihikoootsuru

主催 新日本歌人協会 東京都豊島区南大塚34083

電話03-6902-0802 FAX 03-6902-0803

http://shinnihonkajin.com/ 

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

1万歩日記 2014都知事選 2016都知事選 2020都知事選 3.11 717短歌・俳句勉強会 9.11 abend CO2削減 facebook google iphone iphone apri IT mac M男の映画評論 NHK sst不当解雇 TPP twitter ustream youtube おいしい店紹介 お食事処 ことわざ たっちゃん どきどきブログ句会 まんがで読破 みんなの党 わらび座 アジア アベロ イベント紹介 イラク インターネット新聞『JanJan』 エコ オバマ オーマイニュース キャンプ クラウドファンディング サッカー タビサ チベット テレビ テロ特措法 ネズミ講 バラとガーデニングショー ファスレーン365 ブログ紹介 メルマガ「おは!twitter俳句」 メーリングリスト ラジオ ワーキングプア 三郷 中国 中国残留孤児 九州大学 九条世界会議 五島 井上ひさし 今日の日経から 今日は何の日 介護保険 企業経営論 会の案内 俳句 俳論 健康 共謀法 内野事件 創価学会 労働問題 北朝鮮 医療 原子力発電 句会 周辺の花・景色 啄木 回文 国民投票法案 地方自治 地震 埼玉 大分 大津留の映画評論 大津留公彦 大津留選俳句 太陽光発電 子宮頸がんワクチン 安倍晋三 小林多喜二 小田実 山頭火二豊路の足跡と句碑めぐり 川柳 希望のまち東京をつくる会 平和への結集 年金 広島.長崎 庄内 従軍慰安婦問題 憲法九条 我が家の庭 戦争と平和 教育 教育基本法 文化団体連絡会議 文団連 新宿 新宿の昼飯処 新日本歌人 新聞 日本共産党 日本橋 映像関係 映画 東京 東京電力 東日本大地震 歌論 正岡子規 民主党 沖縄 沢田研二 活動家一丁あがり 消費税 温泉 湯布院 湯平 演劇 現代短歌研究会 環境問題 田中宇の国際ニュース 短歌 石川啄木 社会 社民党 福岡 福田康夫 福田村事件 私が東京を変える 秋田 種田山頭火 立ち枯れ日本 立憲民主党 米軍保護法案 経済・政治・国際 統一協会 署名 美術 美術展 自民党 芝居 芸能・アイドル 苗村京子 苗村京子さんと語ろう会 菅直人 藤原紀香 行事案内 詩論 読書感想文 貧困 資格 趣味 農業 連歌 選挙 関東大震災 陸前高田 電子出版 電気代一時不払いプロジェクト 青年 非暴力直接行動が世界を変える 非正規雇用 音楽

無料ブログはココログ

逆アクセスランキング

" href="">FC2SEO
2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

アクセスカウンター