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短歌コラボ

カテゴリー「啄木」の記事

2022年7月 5日 (火)

2022年啄木祭碓田のぼる講演全文

2022年啄木祭の碓田のぼるさんの講演録を新日本歌人7月号に掲載しました。

ホームページにも以下掲載しました。

https://www.shinnihonkajin.com/infonews/takuboku2022/

新日本歌人へは一部短縮されてますので私の文字起こしした全文をここに掲げます。

ーー

2022年啄木祭 碓田のぼる氏 講演「啄木と共に生きて」―あらためて知る啄木」

202217日に開かれた啄木祭碓田のぼる氏講演です。 

はじめに

レジュメの標題は「啄木と共に生きて」となっていて自分の事ばかりだけを語るようになっていますが、出だしは自分のことを語りそのあと今考えている事を喋ります。

1, 啄木との出会いー北海道の炭鉱長屋でー

小学校時代から家の中に啄木歌集やエッセイがあってそれを読んでいました。啄木との出会いと云えば出会いかもしれません。しかし私が本格的に啄木という人はどういう人なんだろうという風に思ったのは、そのあとです。敗戦直後に私は小学校を卒業して国鉄の経営する機関車などを作ったり修繕したりする鉄道工場に就職しました。

敗戦が17のときで、その頃は、朝鮮や中国から連れられてきた労働者が祖国に帰国しましので労働力不足になり機関車が止まるという国鉄当局が臨時的措置として国鉄の中から労働者を募集して炭鉱に石炭掘りに行かせる措置を取りました。当時私の頭の中は軍国少年でしたが、戦争が終わった年の1945年12月からか月ほど北海道に行った。朝鮮の人たちは強制連行で連れて来られたので、戦後自分らをいじめた職制を糾弾する集会などをやっていたようですその後誰も居なくなっていた。私が行った炭鉱は小さい炭鉱でした。炭鉱ではノルマがあって早く果たせば早く地上に上がれましたが車が石でいっぱいにならないと地上に上がれないというシステムでした。私たちの入った宿舎は朝鮮の人たちが使っていた宿舎で汚かった。だけは新しかったが周りの壁などは真っ黒でひどいものだった。真ん中にストーブがあって八畳くらいの部屋に、私は一番小さかったので壁を見ながら寝る位置にいました。壁に朝鮮語の落書きが沢山あり、ある時に日本語の小さい文字を見つけました。そこには啄木の次の二首が書かれていたのです

今日もまた胸に痛みあり。

死ぬならば、

ふるさとに行きて死なむと思ふ。

 

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつ秋風を聴く

2、 「二人の啄木」のことーそれは一人だった

最初の歌は抒情的で「悲しき玩具」にあります。もう一首の「地図の上」の歌は抒情的でなく私には不思議だった。この二つの歌が結びつかなかったのです。私には二人の啄木のように見えました。二首目は「一握の砂」には掲載されておらず啄木が亡くなってから出た全集に初めて登場します。その朝鮮の人はきっと知識階級で啄木全集を読んでいたのだろうと思いました

後に、小中学生向けの本を書いてくれと言うことで、出版社に旅館に閉じ込められ「二人の啄木」という本を書きましたが、これは炭鉱で出会った二つの歌、二人の啄木が一人になって行く事を書いたものです。この二の啄木が一人啄木になるというのが良く分かったの夜学に行っている時に教えに来た東大の研究生が私の疑問に答えてくれたからでした。それは啄木の若い時と成した時の歌の違いだと教えてくれました。それ私は納得しました。そしてそれ以後私にとっては一人の啄木となりました。

3、結局何をめざして来たかー啄木と社会主義―

啄木は何を目指して来たかが私の関心事項でした。いろんな説がありますが、社会主義の方向に接近して行った事は間違いないと思います明治の社会主義運動には直接行動派と議会政策派の二つの大きな流れがあって、幸徳秋の直接行動派は議会を否定しています片山潜の議会政策派議会を通して政策を実現して行こうとしていした啄木の書いている文章を読んでいます啄木は片山潜の思想に近づいていると感じます。一番大きい例としては、幸徳秋水たちは議会を否定したが片山潜たちは会を通して政策を実現しようとしていました

啄木は明治帝国議会に非常に関心を持っていたです。行き着く先はどこだろうというのが私の大きな関心でした。啄木の思想の変遷はジグザグな感じがしますが、筋を通して生きてきた感じがするです。日露戦争の頃の啄木は戦争好きの青年で、自分でも当時を反省して戦国民の一人だったなどと書いていますが、そういう明治のナショナリズムの影響をすごく浴びてました。

啄木の代わり目は一般的には直接行動派による「赤旗事件」であり、集会が警察に弾圧されて乱闘騒ぎになって多くの人が逮捕され、それがのちの大逆事件という大事件に繋がったと言われていますそこらあたりから啄木は変化していくと一般的には言われています。

私はその前に一つ大きい変わり目あると思います啄木が渋民小学校の教員をやめて、放浪するように函館に渡り代用教員を少しやっていた時、函館大火に会い、札幌に行き小樽に行きそして最後に釧路に行きます小樽に行くまでは典型的な明治のナショナリストでした。明治41年の小樽議会政策派の西川次郎の社会主義講演会に行きどうして困る人が増えるかがテーマの演説を聞き生活に身近な話として感じ「俺がいつも考えているような事だ」と言っていますその演説会を境に啄木の社会主義理解は、マイナスからプラス方向に変化していきますその意識が一番変わったのが釧路新聞に行って政治論説を書けるようになって書いたいくつかの重要な。それまでは新聞記者をやっていましたが三面記事的な記事しか書かされませんでし釧路に行って、実質的な編集長として、政治評論を書き始めます

この頃明治帝国議会で何が議論されいたかと言うと、日露戦争のあと日本はものすごい軍予算を議会に提案していました。それは膨大な軍事予算で陸軍の予算を二倍にするような案でした。それは、当時すでにあった消費税新しい砂糖消費税を作ったりして、国民に重税が押し付けられたもので、このこと問題となっていまし

結局この予算は議会を通過しますが、啄木は勝ったのは政府ではなく軍事費だ「予算通過と国民の覚悟」という論説を釧路新聞に書きました。小樽以前にはこの種の論説は無いので、これが啄木の社会主義理解プラスの方進みだ最初の転機ではないかといます小樽の社会主義演説会で啄木が変化して行ったかは研究者の間で殆ど語られていません

啄木の思想・生活にかかわる大きな事件は、妻の家出事件です。東京に出てきて、家族を呼び寄せ本郷三丁目の「喜の床」の二階で暮らし始めますが、妻の節子さんと啄木の母親は仲が悪く、明治42年10月家出事件が起こますこれは啄木に大きなショックを与えました

学校の恩師の助けなどを得て20日位で節子さんは帰って来る訳ですが、この家出事件は啄木に大きな思想的変化を与えました。家族に対する責任を感じると共に妻が家出をするというのは何が原因なのかを一生懸命考える訳です。妻と母親仲が悪いのも社会の仕組みや貧困の問題につながるとか、そこから全ての問題は社会が問題でありその背後にある国家というものに目を開きました。啄木はこの時期に「国家を発見した」と言われていますが、私もそうだと思います。

そのころから評論迫力があって深いものになってきます。そして「食うべき詩」という詩論を書きますが、観念ではなく、事実を具体的にくべきだと主張しています。日本の現代の事実を知る現代の日本人こそうした詩を書くべきだと書いています。

その翌年大逆事件が起きます大逆事件について啄木は詳細に調べています

死刑宣告者24名の内恩赦を受けなかった12名が死刑になりますそれは予定されていた行動だと当時から言われていました。在外の公館にはその情報があらかじめ届いていたと言われていす。

明治政府は社会と名の付く本を全部発禁処分にしました。十年前に出された本が発禁になり、「昆虫社会」の社会がけしからんと発禁処分になります啄木はそんな中で日本の支配体制はどんな特色を持っているか、どういう風にひどい状況かを考えます。朝日新聞の校正係で働いていましたから情報が入ってくる訳です。そして明治44年に啄木は友人への手紙で「社会主義宣言」をします

大逆事件の被告の中心は直接行動派でしたがこの事件以後、日本の社会主義運動は議会政策派担わざるを得なくなります。啄木はそういう中で社会主義を生活中心の思想として掴むようになったと思います。

啄木は若い時は、明治のナショナリズムの中にいたと言われていますが、私はどうもそう考えていいのかと疑問を持つようになりました。それはどういうものかと言いますと、渋民小学校で教員を一年やっていて、生徒と一緒に校長排斥ストライキなどをやって教員をやめる訳ですが、辞める直前に書いた林中書という評論の中こう書いています

「日本は今、立憲国である。東洋唯一の立憲国である。」「此立憲国の何の隅に、真に立憲的な社会があるか?真に立憲的な行動が、幾度吾人の眼前に演ぜられたか?非立憲的な事実のみが跋扈してはないか?(中略)

「民は依然として封建の民の如く、官力と金力とを個人の自由と権利の上置いて居る無知民衆ではないだろうか?」

これは憲法違反の安保法制などを考えると今の事を言われているような気がしますこれは啄木が社会主義思想に変わる前の事ですから、こういう考えがどうして、いつから持っていのかというのが私の問題意識です。啄木は詩人だから本来自由にあこがれるというのは分かりますがこれほどの考えはなぜ生まれたのでしょうか。立憲国という意識はどこからきたのでしょうか

立憲というのは憲法を中心にした国家体制でが、ヨーロッパなど先進国では皆憲法を持っている。一番大事なことは民の権利が保障されているかという事です。日本では明治22年に大日本帝国憲法が天皇から与えられたという形で作られましたが、民の権利を入れないと世界から認められないので、第二章に「臣民の権利と義務の項目を入れるわけで

憲法学者の樋口一さんは岩波新書の「自由と国家」の中で「4つの89」と言うことを書いてます。1789年はフランス革命、英国の憲法「権利章典」が1689年、1989年は明治憲法1989年はベルリンの壁の崩壊です。ここに明治憲法が入ったのは第二章の「臣民の権利・義務」があるからでしょ。岩波文庫の「人権宣言集」に紹介されていますが、この中には基本的人権である移転の自由・信書の秘密・言論著作の自由請願権等があります。自由民権運動などが明治憲法に反映していると言われていますが、明治憲法は天皇支配の国家の枠の中の権利であり基本的人権保障ではありませんでした

4、いま、気づいたことー啄木における「強権」

啄木が明治憲法に触れた文書は私の見るところ一つもありません立憲思想にこだわるのは明治憲法への批判を意識していたのではないでしょうか。大逆事件以降の啄木の発言は非常に慎重です裏側に明治憲法下では権利が守られてないと言っているのではないでしょう明治憲法は国民の権利も入れながらそれと、絶対主義的天皇制という二項対立イメージです。一方では国民の闘いを反映した国民の権利が含まれ、同時に皇国史観が貫いています。啄木は神武天皇からの歴史に基づく絶対主義的天皇制批判を直接言ってませんも騙しのような歴史を持っていると遠まわしに言っています

5、言葉は時代を背負っている

啄木の歌を作る時の啄木の構えの特徴はどうでしょう。時代の思想はその時代の言葉であらわされなければならないと言っています

啄木は大逆事件以前の日記の中にこう書いています。

時代の主張・感情・観念はその時代の言語によって表されなければならない」

また食うべき詩にはこう書いています。

(われわれの要求する詩は)「現在の日本に生き、生活し、現在の日本語を使い現在の日本を了解しているところの日本人によって歌われなければならない。」

大逆事件の直前の新聞に発表した文章の中に我々歌人に向けてとも読める次のような言葉を書いています。われわれの表現と言葉についてです。

深く強く痛切でなければならない

もう一つ言葉の問題に関して紹介します。

一握の砂は大逆事件(明治43年1月)に出されていますロマンティックな歌と我々は理解していますが、作った方はどういう意識で作ったのでしょうか。

啄木は大逆事件に書田園の思慕」という文章こう書いています

私は私の思慕を捨てたくはない。益々深くしたい。さうしてそれは、今日にあっては、單に私の感情に於いてではなく、権利に於いてである。

故郷を想う心は単に懐かしいということではなく権利の意識に於いてだと言っているのです。都会に出ざると得なかった労働者が故郷を思うのはそうさせられている力に対して物を言いたい、それが啄木の言う権利に於いてという意識ではないかと思うわけです。

   言葉についての啄木のいろんないというのは、啄木の歌を理解する上でも大事です。例えば啄木の「悲しき玩具」にこういう歌があります。

ひと晩に咲かせてみ

梅の鉢を火に焙りしが、

咲かざりしかな

この歌を多くの人はあまりいい歌ではないと評しています。

この歌は明治44年の1月大逆事件」で24名死刑判決のあったに作られています。自分の言葉は時代を背負っていると啄木は言うわけですから、そのことを考えればこの歌の意味は分かりやすいでしょう。

新しき明日の来るを信ずとい

自分の言葉に

嘘はなけれど――

の歌の傍線のためらいの解釈は嘆きの歌というのが多数派です絶望や自虐の歌ではなそれは次のように運動論の発展に繋がっていると思います

明治45年3日の日記は、東京市電の6000人の労働者のストライキが勝利したことにふれたものです。そこには、団結すれば勝つ・多数は力なりと書いているわけです。これ啄木の労働者の前進だと思います果てしなき議論ののち」の「墓碑銘」に一人の労働者が出てきますが、まだ労働者を階級的にはっきりとらえてはいない様な気がします。明治45年正月の東京市電のストで階級的な労働者に到達しているのではないでしょうか。以上です。(文字起こし 大津留公彦)

 

2022年5月 2日 (月)

2022啄木祭の動画をYouTubeにアップしました

2022啄木祭の動画をYouTubeにアップしました。

ここからいつでも見ることができます。

(ちょっと音が小さくてごめんなさい。)

https://youtu.be/ilJPC0qRtiw

2023啄木祭は頑張ります。

今年は啄木没後110年でした。

2022年3月16日 (水)

2022啄木祭ご案内

チラシ

ダウンロード - 2022e5b9b4e59584e69ca8e7a5ade38381e383a9e382b7.pdf

 

2022啄木祭を以下内容にて行います。

zoomでどなたでも自由にご視聴下さい。

 1)「オンライン啄木祭」(ZOOM利用)として実施する

 2)日時 417日(日)開始 午前10時、終了12

 3)会場 メイン(ホスト)会場 東京ボランティア市民活動センター・AB会議室 (使用料無料)

       (飯田橋セントラルプラザ10階、JR飯田橋駅西口を右、駅に隣接した20階建てのビル)

        メイン会場参加は30(事前予約制)

        ZOOM中継 100人迄 

        ミーテイングID924 6513214  パスコード:803142

 4)参加費 いずれも無料 

 5)内容 ①講演 「啄木と共に生きて」 碓田のぼる…メイン会場から講演

      ②2022年度啄木コンクール表彰 

以下に啄木祭と三郷啄木と講師の碓田のぼるさんの本の読書感想文を紹介しておきます。

啄木祭

2011年「啄木から受け継ぐもの」(2011啄木祭碓田のぼる講演録): 大津留公彦のブログ2 (cocolog-nifty.com)

三郷啄木祭
https://twitcasting.tv/kimihikoootsuru/movie/538130363
碓田のぼるさん関係の記事
以上です。

2021年4月13日 (火)

今日は石川啄木の109回目の命日です

今日は石川啄木の109回目の命日です。

臨終の場に居たのは若山牧水でした。

 

明治四十五年四月十三日、歌の友石川啄木が死去しました。

  牧水は前日雑誌のことで啄木を訪ずれました。

  啄木は病床に臥していて枕の許にあった小さな薬の箱を牧水に示して、「僕はこの薬を飲めば病気は治るのだが買う金がない

君貸してくれないか」と云います。

  牧水も金は持ちませんので友だちにたずね歩きましたが出来

 ませんでした。

  帰ってふと啄木の机の上を見ますと啄木の死後に出版された

 歌集 『悲しき玩具』 の原稿がありましたのでその原稿を

 東雲堂書店に持参して二十円を借りて啄木に与えました。

 啄木は涙を流して喜びました。

  牧水は啄木の気分もよいので下宿に帰ってやすみました。

  翌朝早く啄木の夫人から危篤だとの報せが来ました。

  牧水が急いで行きますと夫人が啄木の耳許に口をあて「牧水

 さんが見えましたよ、わかりませんか」と呼びつづけますと奇跡

 的にも眼を開いて牧水の顔を見てにっこり笑い、昨日の金の礼

 を云い薬を買って飲んだことや雑誌のことなど話していましたが

 再び危篤に陥りました。

  牧水はすぐ医師を迎えに走り、帰って啄木の枕許を見ますと

 啄木の長女の京子の姿がありません。

  牧水はさがしに外に出て桜の落花でままごとをしていた京子

 を抱いて啄木の枕許に連れて来た時はすでに息を引きとって

 いました。

そのときのことを詠んだ歌

 

  君が娘は 庭のかたへの 八重桜

 散りしを拾い うつつとも無し

 

  牧水は一日中独りで走り廻って啄木の葬式の準備をしました。

 夜の十時頃までは数人の通夜の客も居ましたが夜半を過ぎる

 頃になると啄木の枕許には啄木の父と牧水の二人でした。

  夫人は同じ胸部疾患が重いので隣室に伏していました。

明け方近くになると啄木の父と牧水は話すことも無くなりまし

た。

  この時、啄木の父は牧水に一筆書いた紙片をわたしました。

  牧水がそれを読みますと

 

 「母みまかりて中陰のうちにまたその子うせければ」

と題して

 

    親とりの ゆくえたづねて 子すゝめの

          死出の山路を いそぐなるらむ

 

 とありました。

  牧水はこれを読んて、子を思う親の愛情に堪え兼ねて

 悲しみの余り、その日の啄木の葬儀には参列することは

 出来ませんでした。

 

 

参考

「若山牧水」延岡顕彰会

歌の友 「石川 

image170.jpg

 啄木」 の死

 

http://www.kodawari.co.jp/bokusui/takubokunosi.html

2020年2月18日 (火)

第四回三郷啄木祭のご案内

4回三郷啄木祭

日時:2019年4月11日(土) 13:30-16:30

場所:三郷市文化会館中会議室収容人員74人

講演:碓田のぼる(元新日本歌人協会代表幹事・現全国幹事)(90分)

歌人 新日本歌人協会全国幹事。元代表幹事。民主主義文学会会員。国際啄木学会会員。『花どき』で第10回多喜二・百合子賞受賞。啄木関係著書多数 近著 評論『啄木断章』歌集「歴史」、碓田のぼる(うすだのぼる)1928年長野県生まれ。千葉県我孫子市在住 演題「『啄木断章』について」(1時間半+質疑15分)

講談:甲斐淳二 (講談師) 演題「西行の歌日記より~鼓が滝」(35分)

社会人講談師。神田香織クラブ所属、織淳。創作講談では

「田中正造伝」、言論の自由と平和の為に奮闘した明治の

ジャーナリストの物語「三面記事の由来」「平民新聞の誕生」等。古典は「西行」「花筏」等。大分県生まれ。柏市在住。

参加費:無料 資料代:500円

紙芝居:宇津木圭(三郷市内紙芝居グループあかとんぼ代表)

檻の中のライオン (25分)

挨拶:小石雅夫(新日本歌人代表幹事)

主催: 新日本歌人協会

ダウンロード - 2020e5b9b4e4b889e983b7e59584e69ca8e7a5ade38381e383a9e382b73defbc88e5868de799bae6b3a8e794a8efbc89.pdf

 

後援:国際啄木学会東京支部

実行委員(三郷早稲田)717短歌俳句勉強会メンバー

日時:2020411日(土)(啄木108回目の命日二日前)

13:3016:30

■会場 三郷市文化会館 中会議室

三郷市文化会館 〒341-0018 埼玉県三郷市早稲田5-4-1

  • 最寄駅は、JR武蔵野線三郷駅です
     東京駅からは武蔵野線で60分程。
     三郷駅北口から文化会館までは、徒歩で15分程度です。

参加費:無料 資料代:500

電子チケット http://misatotakubokusai2020.peatix.com

twicas生中継 http://twitcasting.tv/kimihikoootsuru

主催 新日本歌人協会 東京都豊島区南大塚34083

電話03-6902-0802 FAX 03-6902-0803

http://shinnihonkajin.com/ 

 

2019年10月25日 (金)

碓田のぼるさんの新著「啄木断章」を読んだ

碓田のぼるさんの新著「啄木断章」を読んだ

この本の三分の二を占めるのは今年の「民主文学」の6,7月号に掲載された『啄木詩「老将軍」考』であり、残りが季論2009年秋号に掲載された『生活の風景と言葉』であり、季論2017年秋号の中村稔著『石川啄木論』の書評と20013月の国際啄木学会研究年表第四号の上田哲著『啄木文学・編年資料 受容と継承の軌跡』の書評であり、最後が三枝昴之氏との2006年の対談『生誕百二十年 石川啄木と現代』である。

夫々について感想を書いてみたいと思う。

 

①『啄木詩「老将軍」考』

一言で言って、非常に緻密な分析である。他の言葉で言えば細かく又、執念深い。

啄木の研究者でないと興味を持たないのではないかと思ったが、たまたま最近この「民主文学」の編集者と話す機会があったが彼女はこの文に非常に興味を持ったという。

啄木の入門者には厳しいと思うが文学者にはその取り組みの手法が興味深いかもしれない。

 私のような大雑把な啄木読みには誠に敬意を表するしかない。

その一部を紹介しよう。

この「老将軍」という詩は明治3811日発行の「写真画報第13号」に掲載されているが啄木の第一詩集「あこがれ」には収録されてない。昭和9年に木村毅氏によって「東京日日新聞」に紹介され、啄木全集に収録されたのは戦後になってからである。

この詩はこういう調子で始まる

 

老将軍

老将軍、骨逞しき白龍馬

手綱ゆたかに歩ませて、

たヾ一人、胡天の月に見めぐるは

沙河のこなたの夜の陣。

 

木村毅氏はこの詩が「写真画報第13号」に掲載されたことを啄木は知らなかったのではないかと推測し、忘れてしまったのではないかと推測するが、碓田氏は啄木全集には瑣末な文章の一節まで残しているので啄木が忘れてしまったという説は採らない。

啄木のご子息の石川正雄氏は「老将軍」は「日露沙河の大戦にわが三軍総司令官たりし大山元帥のことであろう」と言っている。碓田氏は中に出てくる「勝算胸に定まりて」は作戦指導の総責任者である満州軍総参謀長児玉源太郎大将の方がふさわしいかも知れないとしているがこの詩の「老将軍」の形象がかすんでいるのでどちらともいえないと言う。

むしろなぜ啄木がこの詩を「忘れてしまった」が問題としている。

明治388月の遼陽会戦で日本軍23500人の死傷者を出しロシア軍も2万の死傷者を出して北に敗走した。同十月クロポトキン率いるロシア軍を日本軍は沙河戦で日本軍20500人の死傷者を出しロシア軍も41千の死傷者という未曾有の大損害を出して終結した。

戦場での真実は知らされずこの二つの会戦の勝利に国内は沸き立ち、天皇が勝利を讃える勅語さえ出している。(この調子で紹介すると本を読む意味がなくなるのでこれから端折ります。)

碓田氏はこの詩には熱狂の反映は無く「孤独感が薄絹のベールのように被っている感じがする」と言う。同時期に岩手日報に連載された「戦雲余録」のナショナリズムと呼応しているがこの「老将軍」の23ヶ月目に書いた「マカロフ提督追悼」と比べてもその力の無さが際立っているという。リズムも「マカロフ」は3445又は79の新調リズムだが「老将軍」は旧調の75のリズムだと言う。

ここで碓田氏の「大胆な仮説」が登場する。(ここら辺からがこの文の真骨頂だが)

曰く 

『「老将軍」には、啄木が生涯の秘事とした、宝徳寺追放の屈辱を背負った父一禎のことを重ねてはいないか』

「執念深い」碓田氏は2018年に曹洞宗総本山の宗務庁宛に質問状を出している。

その返事がこの文の白眉だが推理小説の結末ではないが紹介するのはやめておこう。

詳しくはこの本を読んで頂きたい。

碓田氏は最後のこの詩は「啄木が年少期からもった熱烈なナショナリズムの急激な減退を示していないか」と言う。

この長い論考の最後の文章を紹介して終わろう。

「こうして考えてくると、啄木におけるナショナリズムの問題は、まだまだ奥が深く解明されなければならない問題が残されている思いを強くする。わけても戦後のナショナリズムの研究から深く学び取る必要を痛感する。そのことによって、石川啄木におけるナショナリズム論は、もっと総合的に、理論的に整理され、啄木の思想と文学をより深く刻み上げる事になるのではなかろうか。」

 

②『生活の風景と言葉』

明治41年四月下旬に最後の上京した啄木は金田一京助の下宿である本郷菊坂の赤心館に身を落ち着けた。

58日から45日間で小説を220枚と詩8編と短編の構想を16本分練った。しかし小説は1本も売れず、「明治41年歌稿ノート『暇ナ時』」には614日から1010日までの間に652首が収められているが、約四ヶ月の作品数としては驚くほどのものである。」

このとき啄木は他方で旺盛に読書している。(ツルゲーネフ、蕪村句集、杜甫・陶淵明・白楽天、万葉集、古今集、源氏物語)(驚くべき読書量である。)

622日に「赤旗事件」が起こった。これは「山口孤剣の出獄歓迎会が神田錦町の錦輝町で開かれたおり、「無政府共産」「無政府」などの文字を赤字に白く縫い付けた旗を立てて、警官隊と大乱闘になった事件である。堺利彦、荒畑寒村、大杉栄などと共に菅野スガ、大須賀サトなど若い女性4名を含む計16名が逮捕され」た事件である。

この事件に触発されたと思われる歌がある。

  君にして男なりせば大都会既に二つは焼きてありけむ

4ヵ月後啄木は本郷町の新坂上の高台にある蓋平館別荘に移る。

そして窓から見える富士山よりも砲兵工廠の3本の煙突に興味を持つ。「小説断章その他・島田君の書簡」でその煙を「毒竜のような一条の黒煙」と書き「いかなる健康者でも其地域に住んで半年程経てば、頭に自と血の気が失せて妙に青黒くなり、眼が凹んでドンヨリする。」と書く。碓田氏は「眼前の風景の中に人間の生活を思い浮かべ、人間の未来を見通した俊敏な詩人の想像力であった。」と書いている。

明治4231から朝日新聞校正係に就職し、616日に函館にいた家族を呼んで本郷弓町2丁目の新井という床屋の2階で暮らし始める。

その間貧困のあまり20日間の妻の家出事件が起こるが、碓田氏はこう書く「個人主義的自己充足の思想の敗北であり、それへの鋭い警鐘であった。」「啄木は、この敗北の地点から新しく歩みはじめたのである。それはあらたな「生活の発見」であり、啄木の思想と文学の画期的前進となるものであった。」

その後「食ふべき詩」「きれぎれに心に浮かんだ感じと回想」「文学と政治」「一年間の回顧」など重要な文章を立て続けに書いている。

明治436 大逆事件が起こる。(事件の解説略)

8月末から9にかけて「時代閉塞の現状」を書く。(評論の解説略)

この時期に書かれたこの歌を評している。

地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く

 「日本は天皇の名において、韓国の国号を剥奪し、単なる日本国土の地方名としての「朝鮮」におとしめたものであった。」

碓田氏はこのいかなる地図にもありえない朝鮮国の「国」の語がまさに啄木の思想であるという。曰く「それは、天皇の名によって略奪された国家と民族への鎮魂の思いであり、遠い先での、奪われた「国」のあらたな再生への、期待であった。」と

この歌は動きのある墨を塗るイメージが強いが「国」への着目は新しい指摘であろう。

この年のこの歌も紹介している。

  新しき明日の来たるを信ずと言う

  自分の言葉に

  嘘はなけれど――

 この歌は啄木の悲観ではなく、啄木の我々に向けた問いかけだと碓田氏は言う。

翌明治44は東京市電のストライキで明けた。

 13日の日記にこう書いている。

「国民が団結すれば勝つという事、多数は力なりという事」それに続けて碓田氏はこう書いている。

「こうして啄木は、未完の「新しき明日」の歌の「――」の部分に、自歌自注を加えることよって、作品を完成させたのである。啄木はそれから4ヵ月後の明治45413にわずか262ヶ月の生涯を閉じた。」

 

③書評 中村稔著『石川啄木論』

書評の書評というものは難しい。以下の微妙な文章を紹介するだけにしよう。

「本書を読み終わって、啄木の全生活と全作品を見る著者の視点―生活者啄木を見つめる視線―というようなものを、不図思った。 天上から見下ろしていないことは云うまでもない。それでは遠近法のような、いってみれば、遠方の詳細はわからない。という視点でもない。私の頭に浮かんできたのは、何となく、オランダの画家のレンブラントのような光線であった。」 

④書評 上田哲著『啄木文学・編年資料 受容と継承の軌跡』

 起筆から11年かけ1999年に発行された653頁に及ぶ大書だが作者は翌年に亡くなっている。ここでも思いの籠もった最後の文章を紹介するだけにしよう。

 『受容と継承の軌跡』においても、日曜日に北上川の啄木歌碑の清掃をした小学生が。駐在所で取り調べられ、進学や就職で不当な処遇を受けたことの事実が記述されている。啄木の持つ事実をおし歪めようとする力は、戦前だけのことではない。今日にもそれは及んでいよう。啄木の事実の受容と継承は、それを阻むものとのたたかいなくしては進まないことを、本書を読みながら、あらためて深く思った。」

 

⑤対談『生誕百二十年 石川啄木と現代』碓田のぼる・三枝昴之

対談のおそらく抜粋なので少し物足りない感じがあるがエピソードの部分を紹介しよう。

 

碓田 戦争末期、十五歳のころ、長野・野尻湖畔にあった鉄道工場の寮にいきまして、近くにいたドイツ人の娘さんに恋心をいだいた。自分の歌のようなふりをして、「君に似し姿を街に見る時の/こころ躍りを/あわれと思へ」「かの時に言ひそびれたる/大切な(の?)言葉は今も/胸にのこれど」の二首を贈った。啄木の歌を借用しても、自分の気持ちと矛盾しないから罪の意識はなかった(笑い)。

 

碓田 愛国少年だった私の啄木の歌との印象的な出合いは、敗戦の年で十七歳でした。高等小学校を出て長野の鉄道工場に勤めていましたが、石炭危機で「増産隊」が組織され、北海道の美流渡鉱山にいって採掘作業をやりましてね。粗末なつくりの宿舎で、汗と油のベニヤ板張りの壁に小さな落書きがあるのに気づきました。朝鮮文字に混じって、日本語で歌が書かれていました。「今日もまた胸に痛みあり。/死ぬならば/ふるさとに行きて死なむと思う。」と「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」の二首でした。

以上です。 20191024日 大津留公彦

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2019年5月13日 (月)

東京の啄木祭が終わりました

 

昨日の啄木祭は定員の120名の会場がほぼ一杯の大成功でした。

文化行事の三浦一人さんのソロコンサートは

この啄木祭の為のオリジナル曲「思郷」を含む以下6曲が披露されまし。

1.銀杏の木

2.憂鬱

3.親子時計

4.水目桜

5.思郷(石川啄木に贈る曲です)

6.希望のうた

二次会で亡くなったお父さんを歌う「親子時計」が良かったと複数から感想が出ました。

思郷の歌詞はこれです。

「思郷」 作詞/作曲・三浦一人

 

故郷を思う 母のような温もり 愛を探している

砂のように手に掬えば 幻 こぼれ落ちてく

 

赤く染まる煉瓦通り 移り変わる人の心に

取り残され 仔犬のように独りで震えている

 

山の奥に聞こえている 旅烏が夕暮れ鳴いている

故郷の山 募らせては この心重ねている

 

赤く染まる煉瓦通り 燃え盛れ 寒さに震えている

仔犬達を温めてよ 灯火照らすように

 

川の中の石のように 時の流れが 心の刺を削ってゆく

流れて行く 母性の海を求めて 無償の愛を求めて

彼の若いファンやにわかおばさまファンに取り囲まれていました。

 

記念講演の佐藤勝さんの-啄木の歌に魅せられて二冊の「啄木文献目録」を編んで-

は膨大な資料を集められた経験の中の話を沢山披露して頂けました。

 

そのほかに啄木コンクール賞の表彰があり、入選は埼玉の木村久代さん、佳作は静岡の内田賢一さんと高知の梶田順子さんが受賞されました。

 

以下uplan三輪さんに撮影頂いた映像です。

20190512 UPLAN【前半】2019年啄木祭 三浦一人ソロコンサート・表彰式

https://youtu.be/nhRi46k-THg

20190512 UPLAN【後半】2019年啄木祭 佐藤勝『啄木の歌に魅せられて~二冊の「啄木文献目録」を編んで』

https://youtu.be/bzuofS7W3UE

以上

 

2019年5月11日 (土)

2019年啄木祭のご案内

明日5月12日(日)13:30から啄木祭が行われます。

ご参加下さい。

中継もあります。

ーー

2019年啄木祭

  • 2019/05/12 (日)
    13:30 - 16:30
  • 東京しごとセンター

     

    千代田区飯田橋3丁目10−3 日本

     

  • ¥1,000 前売券

    https://2019takuboku.peatix.com/

  • 2019年啄木祭
    日時
    2019年5月12日(日)13時開場13時半開会
    場所
    東京都しごとセンター・講堂
    千代田区飯田橋3-10ー3
    前売券1000円(当日1200円)
    記念講演
    啄木の歌に魅せられて
    二冊の「啄木文献目録」を編んで
    文化行事
    ソロコンサート
    三浦一人
    啄木祭オリジナル曲他
    http://www.shinnihonkajin.com/gyoji/2019年%E3%80%80啄木祭-2/
    2019年啄木祭 プログラム案及びプロフィール紹介



    1:30 司会 小林加津美(新日本歌人協会全国幹事)

    1:32 主催者挨拶 小石雅夫(新日本歌人協会代表幹事)

    1:35 協賛団体挨拶

    1:50 文化行事 三浦一人さん(シンガーソングライター)

    (希望の歌他)

    2:15 啄木コンクール表彰

    選考結果発表 清水勝典(新日本歌人協会常任幹事)

    受賞者挨拶

    講評(選を終えて)水野昌雄(選考委員会代表)

    2:45 休憩

    3:00 講演 佐藤勝さん

    (湘南啄木文庫代表・国際啄木学会会員)

    「啄木の歌に魅せられてー2冊の「啄木文献目録」を編むー」

    4:30 閉会挨拶 司会

    主催 新日本歌人協会 後援 国際啄木学会

    協賛 文団連(挨拶明石武美事務局長),民主主義文学会
    詩人会議(挨拶青木みつお運営委員長)、新俳句人連盟(挨拶飯田史朗会長) 

2019年4月11日 (木)

啄木と一茶

啄木と一茶

たまたま持っている1997年に大阪で発行された「石川啄木の会」発行の「新しき明日」第19号に安井ひろ子さんの「啄木と一茶」という文章があった。

717短歌俳句勉強会で啄木と一茶と芭蕉の勉強を始めるに当り相応しいのでご紹介します。

この文章は軽妙なエッセイです。なにせ啄木と一茶と安井さんの三者鼎談なのですから。

(こういう文章の書き方があるのだということに感じ入りました。)

(第18号にはゲストとして前に学んだ橘曙覧も登場している。)

 

この鼎談の内容は極秘事項のようだがここに書かれていることを一部紹介しよう。

貧乏比べ

――

自分を上回る一茶の貧乏ぶりに啄木はかなり気を良くしたようだ。

 秋風や家さえ持たぬ大男 一茶

「詩集「呼子と口笛」の<>の詩が語るように、啄木にとって心から求めてしかし最後まで得られなかったのが安住の<>であった。」

梅咲くやあわれ今年も貰餅 一茶

 春立つや四十三年人のめし 一茶

 借金を重ねたまま二十七歳で逝った啄木。四十三歳まで他人のご飯を頂戴してきた一茶に比べれば何のことはない。啄木も自分の借金魔の悪評が多少なりとも緩和されたようで今回の鼎談は嬉しかったのではなかろうか。

――

春立つやの句は享和四年(文化元年)の歳旦句

貧乏比べのような様相だが、大衆性ということで通じ合うものがあるとしている。

 

江戸と東京への憧れと反発

――

ちち母は夜露うけよと撫でやせめ 一茶

(訳 父や母が冷たい夜露を受けさせるために撫でて子どもを育てたのだろうか。)

という句を一茶に披露させている。

(蕪村の「鰒(あわび)喰へと乳母はそだてぬ恨みかな」(落日庵句集)をヒントにして、一茶の継子意識から生れた句作り、貧窮問答歌の「われよりもまずしきひとのちちはははうゑこゆらむ」(万葉集・巻五)の影響もあるだろう)と「一茶句集」の解説にはある。

生涯二万句以上を残した一茶は蕪村の影響を強く受けている。

 

そして啄木の流浪生活を共感して「信濃の山猿一茶」がこういう自句群を述べている。

 春の雪江戸の奴らが何知って

初雪や江戸の奴らが何知って

名月や江戸の奴らが何知って

秋の風江戸の奴らが何知って

江戸への複雑な感情が初句以外は「江戸の奴らが何知って」で統一されている。

一茶の並々ならぬ江戸への憧れと反発が感じられる。

この句は最近大阪で発見された句か、一句も「一茶句集」には収録されてない。

 

下ネタ話

下ネタ話も共通項が紹介されている。

啄木は「ローマ字日記」で詳細に記事を残している。

ドナルド・キーンはこれを最高の日記文学と評している。

一茶は「千束町のお女郎さんや飯盛の八兵衛を相手に相当遊んだようだ」と安井さんにばらされている。

 

啄木と一茶はこれ以外にも大層筆まめなこと反エリート意識の強いことで意気投合したようだ。

安井さんは最後にこう感慨を言う。

――

今日においても金にも飾りにもならない俳句と短歌。一茶に引かれ、啄木に曳かれてこの魅力的な旋律のとりこになった人々が日々や句を歌に詠みつつ明け暮れる。

そういう私だって。

――

安井ひろ子さんは現在、秋沼蕉子さんとして「新日本歌人」誌に歌の投稿を続けている。

この四月号にこういう歌がありました。

p28このことばメールで打つたび迷うなり(素敵、素的、すてき、ステキ)どれがいいやろ

大阪 秋沼蕉子

★自由な言葉使いが素敵です。

以上です。

2019410日 大津留公彦

 

 

 

 

 

2019年1月 4日 (金)

2019年啄木コンクール作品募集

新日本歌人協会で、「2019年、啄木コンクール」の作品を募集しています。
 作品20首。手数料1000円を添えて、締め切りは2019年1月31日消印有効
 発表、表彰は、5月の「啄木祭」の席上で行われます。
 どなたでも応募できます。
詳細はこちらで
http://www.shinnihonkajin.com/infonews/2019年度-啄木コンクール作品募集/

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